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 『龍潭譚』 青空文庫

 声したる方をと思ふ処には誰もをらず。ここかしこさがしたれど人らしきものあらざりき。
 また旧《もと》の境内の中央に立ちて、もの淋しく瞶《みまわ》しぬ。山の奥にも響くべく凄じき音して堂の扉を鎖す音しつ、闃《げき》としてものも聞えずなりぬ。
 親しき友にはあらず。常にうとましき児どもなれば、かかる機会《おり》を得てわれをば苦めむとや企みけむ。身を隠したるまま密《ひそか》に遁げ去りたらむには、探せばとて獲らるべき。益《やく》もなきことをとふと思ひうかぶに、うちすてて踵《くびす》をかへしつ。さるにても万一《もし》わがみいだすを待ちてあらばいつまでも出でくることを得ざるべし、それもまたはかりがたしと、心迷ひて、とつ、おいつ、徒《いたずら》に立ちて困ずる折しも、何処《いずく》より来りしとも見えず、暗うなりたる境内の、うつくしく掃いたる土のひろびろと灰色なせるに際立ちて、顔の色白く、うつくしき人、いつかわが傍《かたわら》にゐて、うつむきざまにわれをば見き。

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