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 『天守物語』 泉鏡花を読む

修理 気を着けい、うかつにかゝると怪我《けが》をいたす。元来此の青獅子が、並大抵のものではないのだ。伝へ聞く。な、以前これはご城下はづれ、群鷺山《むらさぎやま》の地主神《ぢしゅじん》の宮に飾つてあつた。二代以前の当城殿様、お鷹狩の馬上から――一人町里には思ひも寄らぬ、都方《みやこがた》と見えて、世にも艷麗《あでやか》な女の、行列を颯と避けて、其の宮へかくれたのを――とろんこの目で御覧《ろう》じたわ。此方《こなた》は鷹狩、もみぢ山だが、いづれ戦に負けた国の、上臈《じやうらふ》、貴女、貴夫人たちの落人《おちうど》だらう。絶世の美女だ。しやつ掴出《つかみいだ》いて奉れ、とある。御近習《ごきんじふ》、宮の中へ闖入《ちんにふ》し、人妻なればと、いなむを捕へて、手取足取しようとしたれば、舌を噛んで真俯向けに倒れてんだ。其の時にな、この獅子頭を熟と視て、あはれ獅子や、名誉の作かな。わらはに斯《か》ばかりの力あらば、虎狼《とらおほかみ》の手にかかりはせじ、と吐《ほざ》いた、とな。続いて三年、毎年、秋の大洪水よ。何が、骸取片づけの山神主《やまかんぬし》が見た、と申すには、獅子が頭を逆《さかしま》にして、其の婦《をんな》の血を舐め/\、目から涙を流いたと云ふが触出《ふれだ》しでな。打続く洪水は、その婦《をんな》の怨《うらみ》だと、国中の是沙汰《これざた》だ。婦《をんな》が前髪にさしたのが、ぬ時、髪をこぼれ落ちたと云ふを拾つて来て、近習が復命をした、白木に刻んだ三輪牡丹高彫《たかぼり》のさし櫛をな、其の時の馬上の殿様は、澄して袂《たもと》へお入れなさつた。祟《たゝり》を恐れぬ荒気《あらき》の大名。おもしろい、水を出さば、天守の五重を浸してみよ、とそれ、生捉《いけど》つて来てな、此処へ打上げた其の獅子頭だ。以来、奇異妖変さながら魔所のやうに沙汰する天守、まさかとは思うたが、目のあたり不思議を見るわ。――心してかかれ。

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