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 『活人形』 鏡花とアンティークと古書の小径

 今夜を過さず赤城家に入込みて、大秘密を発《あば》きくれむ。まづ其様子を聞置かむと、手を叩きて亭主を呼べば、気軽さうな天保男《てんぽうをとこ》、とつかは前に出来りぬ。「御主人外《ほか》でも無いが、あの雪の下の赤城といふ家。と皆まで言はぬに早合点《はやのみこみ》、「へい、なるほど妖物邸《ばけものやしき》。「其妖物屋敷といふのは何《どう》いふ理窟だい。「さればお聞きなさいまし。まづ御免被つて、と座を進み、「種々《いろ/\》不思議がありますので、第一あゝいふ大きな家に、棲んで居る者がございません。「空家かね、「否《いえ》、其処んところが不思議でごすて。ちやんと門札《かどふだ》も出て居りますが何者が住んで居るのか、其が解りません。「ふゝむ、余り人が出入をしないのか。「時々、あの辺で今まで見た事の無い婆様《ばあさん》に逢ふものがございますが、何でも安達が原の一ツ家の婆々といふ、それは/\凄い人体ださうで。これは多分山猫の妖精《ばけもの》だらうといふ風説《うはさ》でな。「それぢやあ風の吹く晩には、糸を繰る音が聞えるだらうか。「そこまでは存じませんが、折節《をりふし》女の、ひい、ひい、と悲鳴を上げる声が聞えたり、男がげら/\笑ふ声がしたり、や、も、散々な妖原《ばけはら》だといひますで。とこれを聞きて泰助は乗出して、「真個《ほんと》なら奇怪な話だ。まづお茶でも一ツ……といふ一眼《ひとつめ》小僧は出ないかね。とさも聞惚《きゝと》れたる風を装ほひ、愉快《おもしろ》げに問ひ懸《かく》れば、こは怪談の御意に叶ひしことと亭主は頻に乗地《のりぢ》となり、「否《いえ》世が此通り開けましたで、左様《さう》いふ甘口な妖方《ばけかた》はいたしません。東京の何とやら館の壮士が、大勢で此前《さき》の寺へ避暑に来てでございますが、其風説《うはさ》を聞いて、一番妖物《ばけもの》退治をしてやらうといふので、小雨の降る夜二人連で出掛けました。草蓬々《ぼう/\》と茂つた庭へ入り込んで、がさ/\騒いだと思し召せ。ずどんずどんと何処かで短銃《ピストル》の音がしたので、真蒼になつて遁げて帰ると、朋輩のお方が。そりや大方天狗が嚏《くさみ》をしたのか、さうでなければ三ツ目入道が屁を放《ひ》つた音だらう。誰某《だれそれ》は屁玉を喰つて凹んだと大きに笑はれたさうで、もう懲々《こり/\》して、誰も手出しは致しません、何と、短銃では、石見重太郎宮本の武蔵でも叶ひますまい。と渋茶を一杯。舌を濡して言《ことば》を継《つ》ぎ、「串戯《じようだん》は偖《さて》置き、まだまだ気味の悪いのは。と声を低くし、「幽霊《れこ》が出ますので。こは聞処《きゝどころ》と泰助は、「人、まさか幽霊が。と態《わざ》といへば亭主は至極真面目になり、「否《いゝえ》、人から聞いたのではございません。私が慥《たしか》に見ました。「はてな。「思ひ出すと戦慄《ぞつ》といたします。と薄気味悪げに後を見返り、「部屋の外が直ぐ森なので、風通しは宜うございますが、こんな時には、些《ちと》何《ど》うも、と座敷の四隅《よすみ》に目を配りぬ。

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