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 『婦系図』 青空文庫

 南町の邸は、祖母《おばあ》さんが監督に附いて、英吉が主人《あるじ》で、三人の妹が、それぞれ学校に通っているので、すでに縁組みした令嬢たちも、皆そこから通学した。別家のようで且つ学問所、家厳はこれに桐楊《とうよう》塾と題したのである。漢詩の嗜《たしなみ》がある軍医だから、何等か桐楊の出処があろう、但しその義審《つまびらか》ならず。
 英吉に問うと、素湯《さゆ》を飲むような事を云う。枝も栄えて、葉も繁ると云うのだろう、松柏も古いから、そこで桐楊だと。
 説を為《な》すものあり、曰く、桐楊の桐《きり》は男児に較べ、楊《やなぎ》は令嬢《むすめ》たちに擬《なぞら》えたのであろう。漢皇重色思傾国《いろをおもんじてけいこくをおもう》……楊家女有《ようかにじょあり》、と同一《おんなじ》字だ。道理こそ皆美人であると、それあるいは然《しか》らむ。が男の方は、桐に鳳凰《ほうおう》、とばかりで出処が怪しく、花骨牌《はなふだ》から出たようであるから、遂にどちらも信《あて》にはならぬ。

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