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 『義血侠血』 青空文庫

 夜はますます闌《た》けて、霄《そら》はいよいよ曇りぬ。湿りたる空気は重く沈みて、柳の葉末も動かざりき。歩むにつれて、足下《あしもと》の叢より池に跋《は》ね込む蛙《かわず》は、礫《つぶて》を打つがごとく水を鳴らせり。
 行く行く項を低《た》れて、渠は深くも思い悩みぬ。
「だが、警察署へ訴えたところで、じきにあいつらが捕ろうか。捕ったところで、うまく金子《かね》が戻るだろうか。あぶないものだ。そんなことを期《あて》にしてぐずぐずしているうちには、欣さんが食うに窮《こま》ってくる。私の仕送りを頼みにしている身の上なのだから、お金が到《い》かなかった日には、どんなに窮るだろう。はてなあ! 福井の金主のほうは、三百円のうち二百円前借りをしたのだから、まだ百円というものはあるのだ。貸すだろうか、貸すまい。貸さない、貸さない、とても貸さない! 二百円のときでもあんなに渋ったのだ。けれども、こういう事情《わけ》だとすっかり打ち明けて、ひとつ泣き付いてみようかしらん。だめなことだ、あの老爺《おやじ》だもの。のべつに小癪に障ることばっかり陳《なら》べやがって、もうもうほんとに顔を見るのもいやなんだ。そのくせまた持ってるのだ! どうしたもんだろうなあ。ああ、窮った、窮った。やっぱり死ぬのか。死ぬのはいいが、それじゃどうも欣さんに義理が立たない。それが何より愁《つら》い! といって才覚のしようもなし。……」

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