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 『半島一奇抄』 青空文庫

 あとへ引返して、すぐ宮前の通《とおり》から、小橋を一つ、そこも水が走っている、門ばかり、家は形もない――潜門《くぐりもん》を押して入ると――植木屋らしいのが三四人、土をほって、運んでいました。」
 ――別荘の売りものを、料理屋が建直すのだったそうである。
「築山のあとでしょう。葉ばかりの菖蒲《あやめ》は、根を崩され、霧島が、ちらちらと鍬《くわ》の下に見えます。おお御隠居様、大旦那、と植木屋は一斉に礼をする。ちょっと邪魔をしますよ。で、折れかかった板橋を跨《また》いで、さっと銀をよないだ一幅《いっぷく》の流《ながれ》の汀《なぎさ》へ出ました。川というより色紙形の湖です。一等、水の綺麗な場所でな。居士が言いましたよ。耕地が一面に向うへ展《ひら》けて、正面に乙女峠が見渡される……この荒庭のすぐ水の上が、いま詣《もう》でた榎の宮裏で、暗いほどな茂りです。水はその陰から透通る霞のように流れて、幅十間ばかり、水筋を軽くすらすらと引いて行《ゆ》きます。この水面に、もし、ふっくりとした浪が二ツ処立ったら、それがすぐに美人の乳房に見えましょう。宮の森を黒髪にして、ちょうど水脈の血に揺らぐのが真白《まっしろ》な胸に当るんですね、裳《すそ》は裾野をかけて、うつくしく雪に捌《さば》けましょう。――

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