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 『義血侠血』 青空文庫

 そのとき車夫はいっせいに吶喊《とっかん》して馬を駭《おど》ろかせり。馬は懾《おび》えて躍り狂いぬ。車はこれがために傾斜して、まさに乗り合いを振り落とさんとせり。
 恐怖、叫喚、騒擾、地震における惨状は馬車の中《うち》に顕われたり。冷々然たるはひとりかの怪しき人のみ。
 一身をわれに任せよと言いし御者は、風波に掀翻《きんぽん》せらるる汽船の、やがて千尋《ちひろ》の底に汨没《こつぼつ》せんずる危急に際して、蒸気機関はなお漾々たる穏波を截《き》ると異ならざる精神をもって、その職を竭《つ》くすがごとく、従容《しょうよう》として手綱を操り、競争者に後《おく》れず前《すす》まず、隙だにあらば一躍して乗っ越さんと、睨み合いつつ推し行くさまは、この道堪能《かんのう》の達者と覚しく、いと頼もしく見えたりき。

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