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 『木の子説法』 青空文庫

「――某《それがし》が屋敷に、当年はじめて、何とも知れぬくさびらが生えた――ひたもの取って捨つれども、夜《よ》の間には生え生え、幾たび取ってもまたもとのごとく生ゆる、かような不思議なことはござらぬ――」

 鷺玄庵、シテの出る前に、この話の必要上、一樹――本名、幹次郎《みきじろう》さんの、その妻恋坂の時分の事を言わねばならぬ。はじめ、別して酔った時は、幾度も画工《えかき》さんが話したから、私たちはほとんどその言葉通りといってもいいほど覚えている。が、名を知られ、売れッこになってからは、気振《けぶ》りにも出さず、事の一端に触れるのをさえ避けるようになった。苦心談、立志談は、往々にして、その反対の意味の、自己吹聴《ふいちょう》と、陰性の自讃、卑下高慢になるのに気附いたのである。談中――主なるものは、茸《きのこ》で、渠《かれ》が番組の茸を遁《に》げて、比羅《びら》の、蛸《たこ》のとあのくたらを説いたのでも、ほぼ不断の態度が知れよう。

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