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 『活人形』 鏡花とアンティークと古書の小径

 泰助は呼吸《いき》を殺して其様を窺へば、美人は何やらむ深く思ひ沈みたる風情にて、頭を低《た》れて傍目もふらず、今泰助の入りたる事は少しも心附かざりき。額襟許清らに見え、色いと白く肉《しゝ》置き好く、髪房やかに結ひたるが、妖麗《あでやか》なることいはむ方無し。美人は正坐に堪へざりけん、居坐《ゐずまひ》乱して泣きくづほれ啜り上げつゝ独言《つぶやく》やう、「あゝ悪人の手に落ちて、遁げて出ることは出来ず、助けて下さる人は無し。あの高田に汚されぬ先に、一層《いつそ》此儘死にたいなあ、お姉様《あねさん》は何う遊ばした知ら、定めし私と同じ様に。と横に倒れて唯泣《ひたなき》に泣きけるが、力無げに起直りめたる眼を袖にて押拭ひて、件の人形に打向ひ、「人形や、好くお聞き。お前はね、死亡《おなくなり》遊ばした母様《おつかさん》に、よく顔が肖《に》てお在《いで》だから、平常《いつも》姉様《ねえさん》と二人して、可愛がつてあげたのに、今こんな身になつて居るのを、見て居ながら、助けてくれないのは情ないねえ、怨めしいよ。御覧な、誰も世話をしないから、此暑いのに綿の入つた衣服《きもの》を着てお在《いで》だよ。私を旧《もと》のやうにしてお呉れだつたら、甘味《おいし》い御膳を進《あ》げようし、衣服《きもの》も着換へさせますよ。お前のに綺麗な衣服《きもの》を、姉様《ねえさん》と二人で縫ひ上げて、翌日《あす》は着せてあげようと楽みにして寝た晩から、あの邪慳な得三に、かうされたのはよく御存じでないかい。今夜は高田に恥かしめられるからさあ、何《どう》かして下さいてばよう。えゝ、これほどいふのに返事もしないかねえ。と犇《ひし》と上臈の腰に縋りて、口説きたるには、泰助も涙ぐみぬ。

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