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 『絵本の春』 青空文庫

 ところで、いま言った古小路は、私の家から十町余りも離れていて、縁で視《なが》めても、二階から伸上っても、それに……地方の事だから、板葺《いたぶき》屋根へ上って〓《みまわ》しても、実は建連《たてつらな》った賑《にぎやか》な町家《まちや》に隔てられて、その方角には、橋はもとよりの事、川の流《ながれ》も見えないし、小路などは、たとい見えても、松杉の立木一本にもかくれてしまう。……第一見えそうな位置でもないのに――いま言った黄昏《たそがれ》になる頃は、いつも、窓にも縁にも一杯の、川向うの山ばかりか、我が家の町も、門《かど》も、欄干《てすり》も、襖《ふすま》も、居る畳も、ああああ我が影も、朦朧《もうろう》と見えなくなって、国中、町中にただ一条《ひとすじ》、その桃の古小路ばかりが、漫々として波の静《しずか》な蒼海《そうかい》に、船脚を曳《ひ》いたように見える。見えつつ、面そうな花見がえりが、ぞろぞろ橋を渡る跫音が、約束通り、とととと、どど、ごろごろと、且つ乱れてそこへ響く。……幽《かすか》に人声――女らしいのも、ほほほ、と聞こえると、緋桃《ひもも》がぱッと色に乱れて、夕暮の桜もはらはらと散りかかる。……

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