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 『高野聖』 泉鏡花を読む

(はい、これは五十年ばかり前までは人が歩行いた旧道でがす。矢張信州へ出まする、先は一つで七里ばかり総体近うござりますが、いや今時往来の出来るのぢやあござりませぬ。去年も御坊様、親子連の順礼が間違へて入つたといふで、はれ大変な、乞食を見たやうな者ぢやというて、人命に代りはねえ、追かけて助けべえと、巡査様が三人、村の者が十二人、一組になつて之から押上つて、やつと連れて戻つた位でがす。御坊様も血気に逸つて近道をしてはなりましねえぞ、草臥れて野宿をしてからが此処を行かつしやるよりは増でござるに。はい、気を付けて行かつしやれ。)
 此処で百姓に別れて其の川の石の上を行かうとしたが弗と猶予つたのは売薬の身の上で。
 まさかに聞いたほどでもあるまいが、其が本当ならば見殺ぢや、何の道私は出家の体、日が暮れるまでに宿へ着いて屋根の下に寝るには及ばぬ、追着いて引戻して遣らう。罷違うて旧道を皆歩行いても怪しうはあるまい、恁ういふ時候ぢや、狼の旬でもなく、魑魅魍魎の汐さきでもない、まゝよ、と思うて、見送ると早や深切な百姓の姿も見えぬ。

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