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 『半島一奇抄』 青空文庫

 何しろ、美《うつくし》い像だけは事実で。――俗間で、濫《みだり》に扱うべきでないと、もっともな分別です。すぐに近間《ちかま》の山寺へ――浜方一同から預ける事にしました。が、三日も経《た》たないのに、寺から世話人に返して来ました。預った夜《よ》から、いままでに覚えない、凄《すさま》じい鼠の荒れ方で、何と、昼も騒ぐ。……(困りましたよ、これも、あなたのお話について言うようですが)それが皆その像を狙《ねら》うので、人手は足りず、お守をしかねると言うのです。猫を紙袋《かんぶくろ》に入れて、ちょいとつけばニャンと鳴かせる、山寺の和尚さんも、鼠には困った。あと、二度までも近在の寺に頼んだが、そのいずれからも返して来ます。おなじく鼠が掛《かか》るので。……ところが、最初の山寺でもそうだったと申しますが、鼠が女像の足を狙う。……朝顔を噛《か》むようだ。……唯今でも皆がそう言うのでございますがな、これが変です。足を狙うのが、朝顔を噛むようだ。爪さきが薄く白いというのか、裳《もすそ》、褄《つま》、裾《すそ》が、瑠璃《るり》、青、《あか》だのという心か、その辺が判明《はっきり》いたしません。承った処では、居士だと、牡丹《ぼたん》のおひたしで、鼠は朝顔のさしみですかな。いや、お話がおくれましたが、端初《はな》から、あなた――美しい像は、跣足《はだし》だ。跣足が痛わしい、お最惜《いとし》い……と、てんでに申すんですが、御神体は格段……お仏像は靴を召さないのが多いようで、誰もそれを怪《あやし》まないのに、今度の像に限って、おまけに、素足とも言わない、跣足がお痛わしい――何となく漂泊流離の境遇、落ちゅうどの様子があって、お最惜い。そこを鼠が荒すというのは、女像全体にかかる暗示の意味が、おのずから人の情に憑《うつ》ったのかも知れません。ところで、浜方でも相談して、はじめ、寄り着かれた海岸近くに、どこか思召しにかなった場所はなかろうかと、心して捜すと、いくらもあります。これは陸《おか》で探るより、船で見る方が手取《てっと》り早うございますよ。樹の根、巌《いわ》の角、この巌山の切崖《きりぎし》に、しかるべき室《むろ》に見立てられる巌穴がありました。石工《いしや》が入って、鑿《のみ》で滑《なめらか》にして、狡鼠《わるねずみ》を防ぐには、何より、石の扉をしめて祭りました。海で拾い上げたのが巳《み》の日だった処から、巳の日様。――しかし弁財天の御縁日だというので、やがて、皆《みんな》が(巳の時様)。――巳の時様、とそう云っているのでございます。朝に晩に、聞いて存じながら、手前はまだ拝見しません。沼津、三島へ出ますにも、ここはぐっと大廻りになります。出掛けるとなると、いつも用事で、忙しいものですから。……

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