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 『天守物語』 泉鏡花を読む

夫人 この辺《あたり》は雨だけかい。それは、ほんの吹降りの余波《なごり》であらう。鷹狩が遠出をした、姫路野の一里塚のあたりをお見な。暗夜のやうな黒い雲、眩いばかりの電光、可恐《おそろ》しい雹も降りました。鷹狩の連中は、曠野《あらの》の、塚の印の松の根に、澪《みを》に寄つた鮒《ふな》のやうに、うよ/\集《たか》つて、あぶ/\して、あやゐ笠が泳ぐやら、陣羽織が流れるやら。大小をさしたものが、些《ちつ》とは雨にも濡れたが可《い》い。慌てる紋は泡沫《あぶく》のよう。野袴の裾を端折《はしよ》つて、灸のあとを出すのがある。おゝ、をかしい。(微笑む)粟粒を一つ二つと算《かぞ》へて拾ふ雀でも、俄雨には容子《ようす》が可《い》い。五百石、三百石、千石一人で食《は》むものが、その笑止《せうし》さと言つてはない。をかしいやら、気の毒やら、ねえ、お前。
薄 はい。
夫人 私はね、群鷺《むらさぎ》ヶ峰の山の端に、掛稲《かけいね》を楯にして、戻道《もどりみち》で、そつと立つて視《なが》めていた。其処《そこ》には昼の月があつて、雁金《かりがね》のやうに(其の水色の袖を圧《おさ》ふ)其の袖に影が映つた。影が、結んだ玉づさのやうにも見えた。――夜叉ヶ池のお雪様は、激《はげし》いなかにお床しい、野は其の黒雲、尾上《おのへ》は瑠璃、皆、あの方のお計らひ。それでも鷹狩の足も腰も留めさせずに、大風と大雨で、城まで追返しておくれの約束。鷹狩たちが遠くから、松を離れて、其の曠野《あらの》を、黒雲の走る下に、泥川のやうに流れてくるに従つて、追手《おひて》の風の横吹《よこしぶき》。私が見ていたあたりへも、一村雨《ひとむらさめ》颯とかゝつたから、歌も読まずに蓑をかりて、案山子《かゝし》の笠をさして来ました。あゝ、其処の蜻蛉《とんぼ》と鬼灯《ほゝづき》たち、小児《こども》に持たして後ほどに返しませう。

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