春昼 泉鏡花 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)お爺《じい》さん |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)近頃|買求《かいもと》めた [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定    (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数) (例)※[#「火+共」、unicode70D8]《あぶ》る空に -------------------------------------------------------        一 「お爺《じい》さん、お爺さん。」 「はあ、私《わし》けえ。」  と、一言《ひとこと》で直《す》ぐ応じたのも、四辺《あたり》が静かで他《た》には誰もいなかった所為《せい》であろう。そうでないと、その皺《しわ》だらけな額《ひたい》に、顱巻《はちまき》を緩《ゆる》くしたのに、ほかほかと春の日がさして、とろりと酔ったような顔色《がんしょく》で、長閑《のど》かに鍬《くわ》を使う様子が――あのまたその下の柔《やわらか》な土に、しっとりと汗ばみそうな、散りこぼれたら紅《くれない》の夕陽の中に、ひらひらと入《はい》って行《ゆ》きそうな――暖《あたたか》い桃《もも》の花を、燃え立つばかり揺《ゆす》ぶって頻《しきり》に囀《さえず》っている鳥の音《ね》こそ、何か話をするように聞こうけれども、人の声を耳にして、それが自分を呼ぶのだとは、急に心付《こころづ》きそうもない、恍惚《うっとり》とした形であった。  こっちもこっちで、かくたちどころに返答されると思ったら、声を懸《か》けるのじゃなかったかも知れぬ。  何為《なぜ》なら、さて更《あらた》めて言うことが些《ち》と取《と》り留《と》めのない次第なので。本来ならこの散策子《さんさくし》が、そのぶらぶら歩行《あるき》の手すさびに、近頃|買求《かいもと》めた安直《あんちょく》な杖《ステッキ》を、真直《まっすぐ》に路《みち》に立てて、鎌倉《かまくら》の方へ倒れたら爺《じい》を呼ぼう、逗子《ずし》の方へ寝たら黙って置こう、とそれでも事は済《す》んだのである。  多分《たぶん》は聞えまい、聞えなければ、そのまま通り過ぎる分《ぶん》。余計な世話だけれども、黙《だまり》きりも些《ちっ》と気になった処《ところ》。響《ひびき》の応ずるが如きその、(はあ、私《わし》けえ)には、聊《いささ》か不意を打たれた仕誼《しぎ》。 「ああ、お爺さん。」  と低い四目垣《よつめがき》へ一足《ひとあし》寄ると、ゆっくりと腰をのして、背後《うしろ》へよいとこさと反《そ》るように伸びた。親仁《おやじ》との間は、隔てる草も別になかった。三筋《みすじ》ばかり耕《たが》やされた土が、勢込《いきおいこ》んで、むくむくと湧《わ》き立つような快活な香《におい》を籠《こ》めて、しかも寂寞《せきばく》とあるのみで。勿論《もちろん》、根を抜かれた、肥料《こやし》になる、青々《あおあお》と粉《こな》を吹いたそら豆の芽生《めばえ》に交《まじ》って、紫雲英《れんげそう》もちらほら見えたけれども。  鳥打《とりうち》に手をかけて、 「つかんことを聞くがね、お前さんは何《なん》じゃないかい、この、其処《そこ》の角屋敷《かどやしき》の内《うち》の人じゃないかい。」  親仁《おやじ》はのそりと向直《むきなお》って、皺《しわ》だらけの顔に一杯の日当り、桃の花に影がさしたその色に対して、打向《うちむか》うその方《ほう》の屋根の甍《いらか》は、白昼|青麦《あおむぎ》を※[#「火+共」、unicode70D8]《あぶ》る空に高い。 「あの家《うち》のかね。」 「その二階のさ。」 「いんえ、違います。」  と、いうことは素気《そっけ》ないが、話を振切《ふりき》るつもりではなさそうで、肩を一《ひと》ツ揺《ゆす》りながら、鍬《くわ》の柄《え》を返して地《つち》についてこっちの顔を見た。 「そうかい、いや、お邪魔をしたね、」  これを機《しお》に、分れようとすると、片手で顱巻《はちまき》を※[#「てへん+劣」、unicode6318]《かなぐ》り取って、 「どうしまして、邪魔も何もござりましねえ。はい、お前様《まえさま》、何か尋《たず》ねごとさっしゃるかね。彼処《あすこ》の家《うち》は表門《おもてもん》さ閉《しま》っておりませども、貸家《かしや》ではねえが……」  その手拭《てぬぐい》を、裾《すそ》と一緒に、下からつまみ上げるように帯へ挟《はさ》んで、指を腰の両提《ふたつさ》げに突込《つきこ》んだ。これでは直ぐにも通れない。 「何ね、詰《つま》らん事さ。」 「はいい?」 「お爺さんが彼家《あすこ》の人ならそう言って行《ゆ》こうと思って、別に貸家を捜しているわけではないのだよ。奥の方で少《わか》い婦人《おんな》の声がしたもの、空家でないのは分ってるが、」 「そうかね、女中衆《じょちゅうしゅう》も二人ばッかいるだから、」 「その女中衆についてさ。私《わたし》がね、今|彼処《あすこ》の横手をこの路へかかって来ると、溝の石垣の処《ところ》を、ずるずるっと這《は》ってね、一匹いたのさ――長いのが。」        二  怪訝《けげん》な眉を臆面《おくめん》なく日に這《は》わせて、親仁《おやじ》、煙草入《たばこいれ》をふらふら。 「へい、」 「余り好物《こうぶつ》な方《ほう》じゃないからね、実は、」  と言って、笑いながら、 「その癖《くせ》恐《こわ》いもの見たさに立留《たちど》まって見ていると、何《なん》じゃないか、やがて半分ばかり垣根へ入って、尾を水の中へばたりと落して、鎌首《かまくび》を、あの羽目板《はめいた》へ入れたろうじゃないか。羽目《はめ》の中は、見た処《ところ》湯殿《ゆどの》らしい。それとも台所かも知れないが、何しろ、内《うち》にゃ少《わか》い女たちの声がするから、どんな事で吃驚《びっくり》しまいものでもない、と思います。  あれッきり、座敷へなり、納戸《なんど》へなりのたくり込めば、一も二もありゃしない。それまでというもんだけれど、何処《どこ》か板《いた》の間《ま》にとぐろでも巻いている処へ、うっかり出会《でっくわ》したら難儀《なんぎ》だろう。  どの道《みち》余計なことだけれど、お前さんを見かけたから、つい其処《そこ》だし、彼処《あそこ》の内《うち》の人だったら、ちょいと心づけて行《ゆ》こうと思ってさ。何ね、此処《ここ》らじゃ、蛇なんか何でもないのかも知れないけれど、」 「はあ、青大将《あおだいしょう》かね。」  といいながら、大きな口をあけて、奥底《おくそこ》もなく長閑《のどか》な日の舌に染《し》むかと笑いかけた。 「何でもなかあねえだよ。彼処《あすこ》さ東京の人だからね。この間《あいだ》も一件《いっけん》もので大騒ぎをしたでがす。行って見て進《しん》ぜますべい。疾《と》うに、はい、何処《どっ》かずらかったも知んねえけれど、台所の衆とは心安《こころやす》うするでがすから、」 「じゃあ、そうして上げなさい。しかし心ない邪魔をしたね。」 「なあに、お前様、どうせ日は永《なげ》えでがす。はあ、お静かにござらっせえまし。」  こうして人間同士がお静かに分れた頃には、一件はソレ竜《りゅう》の如きもの歟《か》、凡慮《ぼんりょ》の及ぶ処《ところ》でない。  散策子は踵《くびす》を廻《めぐ》らして、それから、きりきりはたり、きりきりはたりと、鶏《にわとり》が羽《は》うつような梭《おさ》の音《おと》を慕《した》う如く、向う側の垣根に添うて、二本《ふたもと》の桃の下を通って、三軒の田舎屋《いなかや》の前を過ぎる間《あいだ》に、十八、九のと、三十《みそじ》ばかりなのと、機《はた》を織る婦人の姿を二人見た。  その少《わか》い方は、納戸《なんど》の破障子《やぶれしょうじ》を半開《はんびら》きにして、姉《ねえ》さん冠《かぶり》の横顔を見た時、腕《かいな》白く梭《おさ》を投げた。その年取った方は、前庭《まえにわ》の乾いた土に筵《むしろ》を敷いて、背《うしろ》むきに機台《はただい》に腰かけたが、トンと足をあげると、ゆるくキリキリと鳴ったのである。  唯《ただ》それだけを見て過ぎた。女今川《おんないまがわ》の口絵《くちえ》でなければ、近頃は余り見掛けない。可懐《なつか》しい姿、些《ちっ》と立佇《たちどま》ってという気もしたけれども、小児《こども》でもいればだに、どの家《うち》も皆《みんな》野面《のら》へ出たか、人気《ひとけ》はこの外《ほか》になかったから、人馴《ひとな》れぬ女だち物恥《ものはじ》をしよう、いや、この男の俤《おもかげ》では、物怖《ものおじ》、物驚《ものおどろき》をしようも知れぬ。この路を後《あと》へ取って返して、今|蛇《へび》に逢《あ》ったという、その二階屋《にかいや》の角《かど》を曲ると、左の方に脊《せ》の高い麦畠《むぎばたけ》が、なぞえに低くなって、一面に颯《さっ》と拡がる、浅緑《あさみどり》に美《うつくし》い白波《しらなみ》が薄《うっす》りと靡《なび》く渚《なぎさ》のあたり、雲もない空に歴々《ありあり》と眺めらるる、西洋館さえ、青異人《あおいじん》、赤異人《あかいじん》と呼んで色を鬼のように称《とな》うるくらい、こんな風《ふう》の男は髯《ひげ》がなくても(帽子被《シャッポかぶ》り)と言うと聞く。  尤《もっと》も一方《いっぽう》は、そんな風《ふう》に――よし、村のものの目からは青鬼《あおおに》赤鬼《あかおに》でも――蝶《ちょう》の飛ぶのも帆艇《ヨット》の帆《ほ》かと見ゆるばかり、海水浴に開《ひら》けているが、右の方は昔ながらの山の形《なり》、真黒《まっくろ》に、大鷲《おおわし》の翼《つばさ》打襲《うちかさ》ねたる趣《おもむき》して、左右から苗代田《なわしろだ》に取詰《とりつ》むる峰の褄《つま》、一重《ひとえ》は一重《ひとえ》ごとに迫って次第に狭く、奥の方《かた》暗く行詰《ゆきつま》ったあたり、打《ぶッ》つけなりの茅屋《かやや》の窓は、山が開いた眼《まなこ》に似て、あたかも大《おおい》なる蟇《ひきがえる》の、明け行《ゆ》く海から掻窘《かいすく》んで、谷間《たにま》に潜《ひそ》む風情《ふぜい》である。        三  されば瓦《かわら》を焚《や》く竈《かまど》の、屋《や》の棟《むね》よりも高いのがあり、主《ぬし》の知れぬ宮《みや》もあり、無縁になった墓地もあり、頻《しきり》に落ちる椿《つばき》もあり、田には大《おおき》な鰌《どじょう》もある。  あの、西南《せいなん》一帯の海の潮《しお》が、浮世の波に白帆《しらほ》を乗せて、このしばらくの間に九十九折《つづらおり》ある山の峡《かい》を、一ツずつ湾《わん》にして、奥まで迎いに来ぬ内は、いつまでも村人は、むこう向《むき》になって、ちらほらと畑打《はたう》っているであろう。  丁《ちょう》どいまの曲角《まがりかど》の二階家あたりに、屋根の七八《ななやっ》ツ重《かさな》ったのが、この村の中心で、それから峡《かい》の方へ飛々《とびとび》にまばらになり、海手《うみて》と二、三|町《ちょう》が間《あいだ》人家《じんか》が途絶《とだ》えて、かえって折曲《おれまが》ったこの小路《こみち》の両側へ、また飛々《とびとび》に七、八軒続いて、それが一部落になっている。  梭《おさ》を投げた娘の目も、山の方へ瞳《ひとみ》が通《かよ》い、足踏みをした女房の胸にも、海の波は映《うつ》らぬらしい。  通りすがりに考えつつ、立離《たちはな》れた。面《おもて》を圧《あっ》して菜種《なたね》の花。眩《まばゆ》い日影が輝くばかり。左手《ゆんで》の崕《がけ》の緑なのも、向うの山の青いのも、偏《かたえ》にこの真黄色《まっきいろ》の、僅《わずか》に限《かぎり》あるを語るに過ぎず。足許《あしもと》の細流《せせらぎ》や、一段《いちだん》颯《さっ》と簾《すだれ》を落して流るるさえ、なかなかに花の色を薄くはせぬ。  ああ目覚《めざ》ましいと思う目に、ちらりと見たのみ、呉織《くれはとり》文織《あやはとり》は、あたかも一枚の白紙《しらかみ》に、朦朧《もうろう》と描《えが》いた二個《ふたつ》のその姿を残して余白を真黄色に塗ったよう。二人の衣服《きもの》にも、手拭《てぬぐい》にも、襷《たすき》にも、前垂《まえだれ》にも、織っていたその機《はた》の色にも、聊《いささか》もこの色のなかっただけ、一入《ひとしお》鮮麗《あざやか》に明瞭に、脳中に描《えが》き出《いだ》された。  勿論《もちろん》、描いた人物を判然《はっきり》と浮出《うきだ》させようとして、この彩色《さいしょく》で地《じ》を塗潰《ぬりつぶ》すのは、画《え》の手段に取って、是《ぜ》か、非《ひ》か、巧《こう》か、拙《せつ》か、それは菜の花の預《あずか》り知る処《ところ》でない。  うっとりするまで、眼前《まのあたり》真黄色な中に、機織《はたおり》の姿の美しく宿った時、若い婦人《おんな》の衝《つ》と投げた梭《おさ》の尖から、ひらりと燃えて、いま一人の足下《あしもと》を閃《ひらめ》いて、輪になって一《ひと》ツ刎《は》ねた、朱《しゅ》に金色《こんじき》を帯びた一条《いちじょう》の線があって、赫燿《かくよう》として眼《まなこ》を射て、流《ながれ》のふちなる草に飛んだが、火の消ゆるが如くやがて失せた。  赤楝蛇《やまかがし》が、菜種《なたね》の中を輝いて通ったのである。  悚然《ぞっ》として、向直《むきなお》ると、突当《つきあた》りが、樹の枝から梢《こずえ》の葉へ搦《から》んだような石段で、上に、茅《かや》ぶきの堂の屋根が、目近《まぢか》な一朶《いちだ》の雲かと見える。棟《むね》に咲いた紫羅傘《いちはつ》の花の紫も手に取るばかり、峰のみどりの黒髪《くろかみ》にさしかざされた装《よそおい》の、それが久能谷《くのや》の観音堂《かんおんどう》。  我が散策子は、其処《そこ》を志《こころざ》して来たのである。爾時《そのとき》、これから参ろうとする、前途《ゆくて》の石段の真下の処へ、殆《ほとん》ど路の幅一杯に、両側から押被《おっかぶ》さった雑樹《ぞうき》の中から、真向《まむき》にぬっと、大《おおき》な馬の顔がむくむくと湧《わ》いて出た。  唯《ただ》見る、それさえ不意な上、胴体は唯一《ただひと》ツでない。鬣《たてがみ》に鬣が繋《つな》がって、胴に胴が重なって、凡《およ》そ五、六|間《けん》があいだ獣《けもの》の背である。  咄嗟《とっさ》の間《かん》、散策子は杖《ステッキ》をついて立窘《たちすく》んだ。  曲角《まがりかど》の青大将と、この傍《かたわら》なる菜の花の中の赤楝蛇《やまかがし》と、向うの馬の面《つら》とへ線を引くと、細長い三角形の只中《ただなか》へ、封じ籠められた形になる。  奇怪なる地妖《ちよう》でないか。  しかし、若悪獣囲繞《にゃくあくじゅういにょう》、利牙爪可怖《りげしょうかふ》も、※[#unicode8696、16-3]蛇及蝮蝎《がんじゃぎゅうふくかつ》、気毒煙火燃《けどくえんかねん》も、薩陀《さった》彼処《かしこ》にましますぞや。しばらくして。……        四  のんきな馬士《まご》めが、此処《ここ》に人のあるを見て、はじめて、のっそり馬の鼻頭《はなづら》に顕《あらわ》れた、真正面《ましょうめん》から前後三頭一列に並んで、たらたら下《お》りをゆたゆたと来るのであった。 「お待遠《まちどお》さまでごぜえます。」 「はあ、お邪魔さまな。」 「御免《ごめん》なせえまし。」  と三人、一人々々《ひとりひとり》声をかけて通るうち、流《ながれ》のふちに爪立《つまだ》つまで、細くなって躱《かわ》したが、なお大《おおい》なる皮の風呂敷に、目を包まれる心地であった。  路《みち》は一際《ひときわ》細くなったが、かえって柔《やわら》かに草を踏んで、きりきりはたり、きりきりはたりと、長閑《のどか》な機《はた》の音に送られて、やがて仔細《しさい》なく、蒼空《あおぞら》の樹《こ》の間《ま》漏《も》る、石段の下《もと》に着く。  この石段は近頃すっかり修復が出来た。(従って、爪尖《つまさき》のぼりの路も、草が分れて、一筋《ひとすじ》明らさまになったから、もう蛇も出まい、)その時分は大破して、丁《ちょう》ど繕《つくろ》いにかかろうという折から、馬はこの段の下《した》に、一軒、寺というほどでもない住職《じゅうしょく》の控家《ひかえや》がある、その背戸《せど》へ石を積んで来たもので。  段を上《のぼ》ると、階子《はしご》が揺《ゆれ》はしまいかと危《あやぶ》むばかり、角《かど》が欠け、石が抜け、土が崩れ、足許も定まらず、よろけながら攀《よ》じ上《のぼ》った。見る見る、目の下の田畠《たはた》が小さくなり遠くなるに従うて、波の色が蒼《あお》う、ひたひたと足許に近づくのは、海を抱《いだ》いたかかる山の、何処《いずこ》も同じ習《ならい》である。  樹立《こだ》ちに薄暗い石段の、石よりも堆《うずたか》い青苔《あおごけ》の中に、あの蛍袋《ほたるぶくろ》という、薄紫《うすむらさき》の差俯向《さしうつむ》いた桔梗《ききょう》科の花の早咲《はやざき》を見るにつけても、何となく湿《しめ》っぽい気がして、しかも湯滝《ゆだき》のあとを踏むように熱く汗ばんだのが、颯《さっ》と一風《ひとかぜ》、ひやひやとなった。境内《けいだい》はさまで広くない。  尤《もっと》も、御堂《みどう》のうしろから、左右の廻廊《かいろう》へ、山の幕を引廻《ひきまわ》して、雑木《ぞうき》の枝も墨染《すみぞめ》に、其処《そこ》とも分《わ》かず松風《まつかぜ》の声。  渚《なぎさ》は浪《なみ》の雪を敷いて、砂に結び、巌《いわお》に消える、その都度《つど》音も聞えそう、但《ただ》残惜《のこりおし》いまでぴたりと留《や》んだは、きりはたり機《はた》の音。  此処《ここ》よりして見てあれば、織姫《おりひめ》の二人の姿は、菜種《なたね》の花の中ならず、蒼海原《あおうなばら》に描かれて、浪に泛《うか》ぶらん風情《ふぜい》ぞかし。  いや、参詣《おまいり》をしましょう。  五段の階《きざはし》、縁《えん》の下を、馬が駈け抜けそうに高いけれども、欄干《らんかん》は影も留《とど》めない。昔はさこそと思われた。丹塗《にぬり》の柱、花狭間《はなはざま》、梁《うつばり》の波の紺青《こんじょう》も、金色《こんじき》の竜《りゅう》も色さみしく、昼の月、茅《かや》を漏《も》りて、唐戸《からど》に蝶《ちょう》の影さす光景《ありさま》、古き土佐絵《とさえ》の画面に似て、しかも名工の筆意《ひつい》に合《かな》い、眩《まば》ゆからぬが奥床《おくゆか》しゅう、そぞろに尊く懐《なつか》しい。  格子《こうし》の中は暗かった。  戸張《とばり》を垂れた御廚子《みずし》の傍《わき》に、造花《つくりばな》の白蓮《びゃくれん》の、気高く俤《おもかげ》立つに、頭《こうべ》を垂れて、引退《ひきしりぞ》くこと二、三尺。心静かに四辺《あたり》を見た。  合天井《ごうてんじょう》なる、紅々白々《こうこうはくはく》牡丹《ぼたん》の花、胡粉《ごふん》の俤《おもかげ》消え残り、紅《くれない》も散留《ちりとま》って、あたかも刻《きざ》んだものの如く、髣髴《ほうふつ》として夢に花園《はなぞの》を仰《あお》ぐ思いがある。  それら、花にも台《うてな》にも、丸柱《まるばしら》は言うまでもない。狐格子《きつねごうし》、唐戸《からど》、桁《けた》、梁《うつばり》、※[#「目+句」、unicode7717]《みまわ》すものの此処《ここ》彼処《かしこ》、巡拝《じゅんぱい》の札《ふだ》の貼りつけてないのは殆どない。  彫金《ほりきん》というのがある、魚政《うおまさ》というのがある、屋根安《やねやす》、大工鉄《だいてつ》、左官金《さかんきん》。東京の浅草《あさくさ》に、深川《ふかがわ》に。周防国《すおうのくに》、美濃《みの》、近江《おうみ》、加賀《かが》、能登《のと》、越前《えちぜん》、肥後《ひご》の熊本、阿波《あわ》の徳島。津々浦々《つつうらうら》の渡鳥《わたりどり》、稲負《いなおお》せ鳥《どり》、閑古鳥《かんこどり》。姿は知らず名を留《と》めた、一切の善男子《ぜんなんし》善女人《ぜんにょにん》。木賃《きちん》の夜寒《よさむ》の枕にも、雨の夜の苫船《とまぶね》からも、夢はこの処《ところ》に宿るであろう。巡礼たちが霊魂《たましい》は時々|此処《ここ》に来て遊《あす》ぼう。……おかし、一軒一枚の門札《もんふだ》めくよ。        五  一座の霊地《れいち》は、渠《かれ》らのためには平等利益《びょうどうりやく》、楽《たのし》く美しい、花園である。一度|詣《もう》でたらんほどのものは、五十里、百里、三百里、筑紫《つくし》の海の果《はて》からでも、思いさえ浮んだら、束《つか》の間《ま》に此処《ここ》に来て、虚空《こくう》に花降《はなふ》る景色を見よう。月に白衣《びゃくえ》の姿も拝もう。熱あるものは、楊柳《ようりゅう》の露の滴《したたり》を吸うであろう。恋するものは、優柔《しなやか》な御手《みて》に縋《すが》りもしよう。御胸《おんむね》にも抱《いだ》かれよう。はた迷える人は、緑の甍《いらか》、朱《あけ》の玉垣《たまがき》、金銀の柱、朱欄干《しゅらんかん》、瑪瑙《めのう》の階《きざはし》、花唐戸《はなからど》。玉楼金殿《ぎょくろうきんでん》を空想して、鳳凰《ほうおう》の舞う竜《たつ》の宮居《みやい》に、牡丹《ぼたん》に遊ぶ麒麟《きりん》を見ながら、獅子王《ししおう》の座に朝日影さす、桜の花を衾《ふすま》として、明月《めいげつ》の如き真珠を枕に、勿体《もったい》なや、御添臥《おんそいぶし》を夢見るかも知れぬ。よしそれとても、大慈大悲《だいじだいひ》、観世音《かんぜおん》は咎《とが》め給《たま》わぬ。  さればこれなる彫金《ほりきん》、魚政《うおまさ》はじめ、此処《ここ》に霊魂の通《かよ》う証拠には、いずれも巡拝《じゅんぱい》の札《ふだ》を見ただけで、どれもこれも、女名前《おんななまえ》のも、ほぼその容貌と、風采《ふうさい》と、従ってその挙動までが、朦朧《もうろう》として影の如く目に浮ぶではないか。  かの新聞で披露《ひろう》する、諸種の義捐金《ぎえんきん》や、建札《たてふだ》の表《ひょう》に掲示する寄附金の署名が写実である時に、これは理想であるといっても可《よ》かろう。  微笑《ほほえ》みながら、一枚ずつ。  扉の方へうしろ向けに、大《おおき》な賽銭箱《さいせんばこ》のこなた、薬研《やげん》のような破目《われめ》の入った丸柱《まるばしら》を視《なが》めた時、一枚|懐紙《かいし》の切端《きれはし》に、すらすらとした女文字《おんなもじ》。 [#天から4字下げ]うたゝ寐《ね》に恋しき人を見てしより [#天から9字下げ]夢てふものは頼みそめてき [#天から16字下げ]――玉脇《たまわき》みを――  と優《やさ》しく美《うつくし》く書いたのがあった。 「これは御参詣で。もし、もし、」  はッと心付くと、麻《あさ》の法衣《ころも》の袖《そで》をかさねて、出家《しゅっけ》が一人、裾短《すそみじか》に藁草履《わらぞうり》を穿《は》きしめて間近《まぢか》に来ていた。  振向《ふりむ》いたのを、莞爾《にこ》やかに笑《え》み迎えて、 「些《ちっ》とこちらへ。」  賽銭箱《さいせんばこ》の傍《わき》を通って、格子戸に及腰《およびごし》。 「南無《なむ》」とあとは口の裏《うち》で念じながら、左右へかたかたと静《しずか》に開けた。  出家は、真直《まっす》ぐに御廚子《みずし》の前、かさかさと袈裟《けさ》をずらして、袂《たもと》からマッチを出すと、伸上《のびあが》って御蝋《おろう》を点じ、額《ひたい》に掌《たなそこ》を合わせたが、引返《ひきかえ》してもう一枚、彳《たたず》んだ人の前の戸を開けた。  虫ばんだが一段高く、かつ幅の広い、部厚《ぶあつ》な敷居《しきい》の内に、縦に四畳《よじょう》ばかり敷かれる。壁の透間《すきま》を樹蔭《こかげ》はさすが、縁《へり》なしの畳《たたみ》は青々《あおあお》と新しかった。  出家は、上に何《なん》にもない、小机《こづくえ》の前に坐って、火入《ひいれ》ばかり、煙草《たばこ》なしに、灰のくすぼったのを押出《おしだ》して、自分も一膝《ひとひざ》、こなたへ進め、 「些《ちっ》とお休み下さい。」  また、かさかさと袂《たもと》を探って、 「やあ、マッチは此処《ここ》にもござった、ははは、」  と、も一《ひと》ツ机の下から。 「それではお邪魔を、ちょっと、拝借。」  とこなたは敷居越《しきいごし》に腰をかけて、此処《ここ》からも空に連なる、海の色より、より濃《こまやか》な霞《かすみ》を吸った。 「真個《ほんと》に、結構な御堂《おどう》ですな、佳《い》い景色じゃありませんか。」 「や、もう大破《たいは》でござって。おもりをいたす仏様に、こう申し上げては済まんでありますがな。ははは、私力《わたくしちから》にもおいそれとは参りませんので、行届《ゆきとど》かんがちでございますよ。」        六 「随分《ずいぶん》御参詣はありますか。」  先ず差当《さしあた》り言うことはこれであった。  出家は頷《うなず》くようにして、机の前に座を斜めに整然《きちん》と坐り、 「さようでございます。御繁昌《ごはんじょう》と申したいでありますが、当節は余りござりません。以前は、荘厳美麗《そうごんびれい》結構なものでありましたそうで。  貴下《あなた》、今お通りになりましてございましょう。此処《ここ》からも見えます。この山の裾《すそ》へかけまして、ずッとあの菜種畠《なたねばたけ》の辺《あたり》、七堂伽藍《しちどうがらん》建連《たてつら》なっておりましたそうで。書物《かきもの》にも見えますが、三浦郡《みうらごおり》の久能谷《くのや》では、この岩殿寺《いわとでら》が、土地の草分《くさわけ》と申しまする。  坂東《ばんどう》第二番の巡拝所《じゅんぱいじょ》、名高い霊場《れいじょう》でございますが、唯今《ただいま》ではとんとその旧跡《きゅうせき》とでも申すようになりました。  妙《みょう》なもので、かえって遠国《えんごく》の衆《しゅう》の、参詣が多うございます。近くは上総《かずさ》下総《しもうさ》、遠い処は九州|西国《さいこく》あたりから、聞伝《ききつた》えて巡礼なさるのがあります処《ところ》、この方《かた》たちが、当地へござって、この近辺で聞かれますると、つい知らぬものが多くて、大きに迷うなぞと言う、お話しを聞くでございますよ。」 「そうしたもんです。」 「ははは、如何《いか》にも、」  と言ってちょっと言葉が途切《とぎ》れる。  出家の言《ことば》は、聊《いささ》か寄附金の勧化《かんげ》のように聞えたので、少し気になったが、煙草《たばこ》の灰を落そうとして目に留《と》まった火入《ひいれ》の、いぶりくすぶった色あい、マッチの燃《もえ》さしの突込《つッこ》み加減《かげん》。巣鴨辺《すがもへん》に弥勒《みろく》の出世を待っている、真宗大学《しんしゅうだいがく》の寄宿舎に似て、余り世帯気《しょたいげ》がありそうもない処《ところ》は、大《おおい》に胸襟《きょうきん》を開いてしかるべく、勝手に見て取った。  そこでまた清々《すがすが》しく一吸《ひとすい》して、山の端《は》の煙を吐くこと、遠見《とおみ》の鉄拐《てっかい》の如く、 「夏はさぞ涼《すずし》いでしょう。」 「とんと暑さ知らずでござる。御堂《おどう》は申すまでもありません、下の仮庵室《かりあんじつ》なども至極《しごく》その涼《すずし》いので、ほんの草葺《くさぶき》でありますが、些《ち》と御帰りがけにお立寄《たちよ》り、御休息なさいまし。木葉《きのは》を燻《くす》べて渋茶《しぶちゃ》でも献じましょう。  荒れたものでありますが、いや、茶釜《ちゃがま》から尻尾《しっぽ》でも出ましょうなら、また一興《いっきょう》でござる。はははは、」 「お羨《うらやまし》い御境涯《ごきょうがい》ですな。」  と客は言った。 「どうして、貴下《あなた》、さように悟りの開けました智識《ちしき》ではございません。一軒屋の一人住居《ひとりずまい》心寂しゅうござってな。唯今《ただいま》も御参詣のお姿を、あれからお見受け申して、あとを慕って来ましたほどで。  時に、どちらに御逗留《ごとうりゅう》?」 「私《わたし》? 私は直《じ》きその停車場《ステイション》最寄《もより》の処《ところ》に、」 「しばらく、」 「先々月《せんせんげつ》あたりから、」 「いずれ、御旅館で、」 「否《いいえ》、一室《ひとま》借りまして自炊《じすい》です。」 「は、は、さようで。いや、不躾《ぶしつけ》でありまするが、思召《おぼしめ》しがござったら、仮庵室《かりあんじつ》御用にお立て申しまする。  甚《はなは》だ唐突《とうとつ》でありまするが、昨年夏も、お一人な、やはりかような事から、貴下《あなた》がたのような御仁《ごじん》の御宿《おやど》をいたしたことがありまする。  御夫婦でも宜《よろ》しい。お二人ぐらいは楽でありますから、」 「はい、ありがとう。」  と莞爾《にっこり》して、 「ちょっと、通りがかりでは、こういう処《ところ》が、こちらにあろうとは思われませんね。真個《ほんとう》に佳《い》い御堂ですね、」 「折々|御遊歩《ごゆうほ》においで下さい。」 「勿体《もったい》ない、おまいりに来ましょう。」  何心《なにごころ》なく言った顔を、訝《いぶか》しそうに打視《うちなが》めた。        七  出家は膝に手を置いて、 「これは、貴下方《あなたがた》の口から、そういうことを承《うけたまわ》ろうとは思わんでありました。」 「何故《なぜ》ですか、」  と問うては見たが、予《あらかじ》め、その意味を解するに難《かと》うはないのであった。  出家も、扁《ひらた》くはあるが、ふっくりした頬に笑《えみ》を含んで、 「何故《なぜ》と申すでもありませんがな……先ず当節のお若い方が……というのでござる。はははは、近い話がな。最《もっと》もそう申すほど、私《わたくし》が、まだ年配ではありませんけれども、」 「分りましたとも。青年の、しかも書生《しょせい》が、とおっしゃるのでしょう。  否《いいえ》、そういう御遠慮をなさるから、それだから不可《いけ》ません。それだから、」  とどうしたものか、じりじりと膝を向け直して、 「段々お宗旨《しゅうし》が寂《さび》れます。こちらは何《なに》お宗旨だか知りませんが。  対手《あいて》は老朽《おいく》ちたものだけで、年紀《とし》の少《すくな》い、今の学校生活でもしたものには、とても済度《さいど》はむずかしい、今さら、観音《かんおん》でもあるまいと言うようなお考えだから不可《いか》んのです。  近頃は爺婆《じじばば》の方が横着《おうちゃく》で、嫁をいじめる口叱言《くちこごと》を、お念仏で句読《くとう》を切ったり、膚脱《はだぬぎ》で鰻《うなぎ》の串《くし》を横銜《よこぐわ》えで題目を唱《とな》えたり、……昔からもそういうのもなかったんじゃないが、まだまだ胡散《うさん》ながら、地獄極楽《じごくごくらく》が、いくらか念頭にあるうちは始末がよかったのです。今じゃ、生悟《なまさと》りに皆《みんな》が悟りを開いた顔で、悪くすると地獄の絵を見て、こりゃ出来が可《い》い、などと言い兼ねません。  貴下方《あなたがた》が、到底|対手《あいて》にゃなるまいと思っておいでなさる、少《わか》い人たちが、かえって祖師《そし》に憧《あこ》がれてます。どうかして、安心立命《あんしんりつめい》が得たいと悶《もだ》えてますよ。中にはそれがために気が違うものもあり、自殺するものさえあるじゃありませんか。  何でも構わない。途中で、ははあ、これが二十世紀の人間だな、と思うのを御覧なすったら、男子《おとこ》でも女子《おんな》でもですね、唐突《だしぬけ》に南無阿弥陀仏《なむあみだぶつ》と声をかけてお試しなさい。すぐに気絶するものがあるかも知れず、たちどころに天窓《あたま》を剃《そっ》て御弟子になりたいと言おうも知れず、ハタと手を拍《う》って悟るのもありましょう。あるいはそれが基《もと》で死にたくなるものもあるかも知れません。  実際、串戯《じょうだん》ではない。そのくらいなんですもの。仏教はこれから法燈《ほうとう》の輝く時です。それだのに、何故《なぜ》か、貴下《あんた》がたが因循《いんじゅん》して引込思案《ひっこみじあん》でいらっしゃる。」  頻《しきり》に耳を傾けたが、 「さよう、如何《いか》にも、はあ、さよう。いや、私《わたくし》どもとても、堅く申せば思想界は大維新《だいいしん》の際《さい》で、中には神を見た、まのあたり仏《ぶつ》に接した、あるいは自《みず》から救世主であるなどと言う、当時の熊本の神風連《じんぷうれん》の如き、一揆《いっき》の起りましたような事も、ちらほら聞伝《ききつた》えてはおりますが、いずれに致せ、高尚な御議論、御研究の方《ほう》でござって、こちとらづれ出家がお守《も》りをする、偶像なぞは……その、」  と言いかけて、密《そっ》と御廚子《みずし》の方《かた》を見た。 「作《さく》がよければ、美術品、彫刻物《ちょうこくもの》として御覧なさろうと言う世間。  あるいは今後、仏教は盛《さかん》になろうも知れませんが、ともかく、偶像の方となりますると……その如何《いかが》なものでござろうかと……同一《おなじ》信仰にいたしてからが、御本尊《ごほんぞん》に対し、礼拝《らいはい》と申す方《かた》は、この前《さき》どうあろうかと存じまする。ははは、そこでございますから、自然、貴下《あたた》[#ルビの「あたた」はママ]がたには、仏教、即《すなわ》ち偶像教でないように思召《おぼしめ》しが願いたい、御像《おすがた》の方は、高尚な美術品を御覧になるように、と存じて、つい御遊歩《ごゆうほ》などと申すような次第でございますよ。」 「いや、いや、偶像でなくってどうします。御姿《おすがた》を拝まないで、何を私《わたし》たちが信ずるんです。貴下《あなた》、偶像とおっしゃるから不可《いか》ん。  名がありましょう、一体ごとに。  釈迦《しゃか》、文殊《もんじゅ》、普賢《ふげん》、勢至《せいし》、観音《かんおん》、皆、名があるではありませんか。」        八 「唯《ただ》、人と言えば、他人です、何でもない。これに名がつきましょう。名がつきますと、父となります、母となり、兄となり、姉となります。そこで、その人たちを、唯《ただ》、人にして扱いますか。  偶像も同一《どういつ》です。唯《ただ》偶像なら何でもない、この御堂のは観世音《かんぜおん》です、信仰をするんでしょう。  じゃ、偶像は、木《き》、金《かね》、乃至《ないし》、土。それを金銀、珠玉《しゅぎょく》で飾り、色彩を装《よそお》ったものに過ぎないと言うんですか。人間だって、皮、血、肉、五臓《ごぞう》、六腑《ろっぷ》、そんなもので束《つか》ねあげて、これに衣《き》ものを着せるんです。第一|貴下《あなた》、美人だって、たかがそれまでのもんだ。  しかし、人には霊魂《れいこん》がある、偶像にはそれがない、と言うかも知れん。その、貴下《あなた》、その貴下《あなた》、霊魂が何だか分らないから、迷いもする、悟りもする、危《あやぶ》みもする、安心もする、拝みもする、信心もするんですもの。  的《まと》がなくって弓の修業が出来ますか。軽業《かるわざ》、手品《てじな》だって学ばねばならんのです。  偶像は要《い》らないと言う人に、そんなら、恋人は唯《た》だ慕う、愛する、こがるるだけで、一緒にならんでも可《い》いのか、姿を見んでも可《い》いのか。姿を見たばかりで、口を利かずとも、口を利いたばかりで、手に縋《すが》らずとも、手に縋っただけで、寝ないでも、可《い》いのか、と聞いて御覧なさい。  せめて夢にでも、その人に逢《あ》いたいのが実情です。  そら、幻にでも神仏《かみほとけ》を見たいでしょう。  釈迦《しゃか》、文殊《もんじゅ》、普賢《ふげん》、勢至《せいし》、観音《かんおん》、御像《おすがた》はありがたい訳《わけ》ではありませんか。」  出家は活々《いきいき》とした顔になって、目の色が輝いた。心の籠《こも》った口のあたり、髯《ひげ》の穴も数えつびょう、 「申されました、おもしろい。」  ぴたりと膝に手をついて、片手を額《ひたい》に加えたが、 「――うたゝ寐《ね》に恋しき人を見てしより夢てふものはたのみそめてき――」  と独《ひと》り俯向《うつむ》いた口の裏《うち》に誦《じゅ》したのは、柱に記《しる》した歌である。  こなたも思わず彼処《かしこ》を見た、柱なる蜘蛛《ささがに》の糸、あざやかなりけり水茎《みずぐき》の跡。 「そう承《うけたまわ》れば恥入《はじい》る次第で、恥を申さねば分らんでありますが、うたゝ寐《ね》の、この和歌でござる、」 「その歌が、」  とこなたも膝の進むを覚えず。 「ええ、御覧なさい。其処中《そこらじゅう》、それ巡拝札《じゅんぱいふだ》を貼り散らしたと申すわけで、中にはな、売薬や、何かの広告に使いまするそうなが、それもありきたりで構わんであります。  また誰《たれ》が何時《いつ》のまに貼って参るかも分りませんので。ところが、それ、其処《そこ》の柱の、その……」 「はあ、あの歌ですか。」 「御覧になったで、」 「先刻《さっき》、貴下《あなた》が声をおかけなすった時に、」 「お目に留《と》まったのでありましょう、それは歌の主《ぬし》が分っております。」 「婦人ですね。」 「さようで、最《もっと》も古歌《こか》でありますそうで、小野小町《おののこまち》の、」 「多分そうのようです。」 「詠《よ》まれたは御自分でありませんが、いや、丁《とん》とその詠《よ》み主《ぬし》のような美人でありましてな、」 「この玉脇《たまわき》……とか言う婦人が、」  と、口では澄《す》ましてそう言ったが、胸はそぞろに時《とき》めいた。 「なるほど、今|貴下《あなた》がお話しになりました、その、御像《おすがた》のことについて、恋人|云々《うんぬん》のお言葉を考えて見ますると、これは、みだらな心ではのうて、行《ゆ》き方《かた》こそ違いまするが、かすかに照らせ山《やま》の端《は》の月、と申したように、観世音《かんぜおん》にあこがるる心を、古歌に擬《なぞ》らえたものであったかも分りませぬ。――夢てふものは頼み初《そ》めてき――夢になりともお姿をと言う。  真個《まこと》に、ああいう世に稀《まれ》な美人ほど、早く結縁《けちえん》いたして仏果《ぶっか》を得た験《ためし》も沢山《たくさん》ございますから。  それを大掴《おおづかみ》に、恋歌《こいか》を書き散らして参った。怪《け》しからぬ事と、さ、それも人によりけり、御経《おきょう》にも、若有女人設欲求男《にゃくうにょにんせつよくぐなん》、とありまするから、一概《いちがい》に咎《とが》め立てはいたさんけれども。あれがために一人殺したでござります。」  聞くものは一驚《いっきょう》を吃《きっ》した。菜の花に見た蛇のそれより。        九 「まさかとお思いなさるでありましょう、お話が大分|唐突《だしぬけ》でござったで、」  出家は頬に手をあてて、俯《うつむ》いてやや考え、 「いや、しかし恋歌《こいか》でないといたして見ますると、その死んだ人の方《ほう》が、これは迷いであったかも知れんでございます。」 「飛んだ話じゃありませんか、それはまたどうした事ですか。」  と、こなたは何時《いつ》か、もう御堂《おどう》の畳に、にじり上《あが》っていた。よしありげな物語を聞くのに、懐《ふところ》が窮屈《きゅうくつ》だったから、懐中《かいちゅう》に押込《おしこ》んであった、鳥打帽《とりうちぼう》を引出して、傍《かたわら》に差置《さしお》いた。  松風が音《ね》に立った。が、春の日なれば人よりも軽く、そよそよと空を吹くのである。  出家は仏前の燈明《とうみょう》をちょっと見て、 「さればでござって。……  実は先刻お話《はなし》申した、ふとした御縁で、御堂《おどう》のこの下の仮庵室《かりあんじつ》へお宿をいたしました、その御仁《ごじん》なのでありますが。  その貴下《あなた》、うたゝ寝《ね》の歌を、其処《そこ》へ書きました、婦人のために……まあ、言って見ますれば恋煩《こいわずら》い、いや、こがれ死《じに》をなすったと申すものでございます。早い話が、」 「まあ、今時《いまどき》、どんな、男です。」 「丁《ちょう》ど貴下《あなた》のような方《かた》で、」  呀《あ》? 茶釜《ちゃがま》でなく、這般《この》文福和尚《ぶんぶくおしょう》、渋茶《しぶちゃ》にあらぬ振舞《ふるまい》の三十棒《さんじゅうぼう》、思わず後《しりえ》に瞠若《どうじゃく》として、……唯《ただ》苦笑《くしょう》するある而已《のみ》…… 「これは、飛んだ処《ところ》へ引合いに出しました、」  と言って打笑《うちわら》い、 「おっしゃる事と申し、やはりこういう事からお知己《ちかづき》になったと申し、うっかり、これは、」 「否《いや》、結構ですとも。恋で死ぬ、本望です。この太平の世に生れて、戦場で討死《うちじに》をする機会がなけりゃ、おなじ畳の上で死ぬものを、憧《こが》れじにが洒落《しゃれ》ています。  華族の金満家《きんまんか》へ生れて出て、恋煩《こいわずら》いで死ぬ、このくらいありがたい事はありますまい。恋は叶《かな》う方が可《よ》さそうなもんですが、そうすると愛別離苦《あいべつりく》です。  唯《ただ》死ぬほど惚《ほ》れるというのが、金《かね》を溜《た》めるより難《かた》いんでしょう。」 「真《まこと》に御串戯《ごじょうだん》ものでおいでなさる。はははは、」 「真面目《まじめ》ですよ。真面目だけなお串戯《じょうだん》のように聞えるんです。あやかりたい人ですね。よくそんなのを見つけましたね。よくそんな、こがれ死《じに》をするほどの婦人が見つかりましたね。」 「それは見ることは誰にでも出来ます。美しいと申して、竜宮《りゅうぐう》や天上界《てんじょうかい》へ参らねば見られないのではござらんで、」 「じゃ現在いるんですね。」 「おりますとも。土地の人です。」 「この土地のですかい。」 「しかもこの久能谷《くのや》でございます。」 「久能谷の、」 「貴下《あなた》、何んでございましょう、今日|此処《ここ》へお出でなさるには、その家《うち》の前を、御通行《おとおり》になりましたろうで、」 「その美人の住居《すまい》の前をですか。」  と言う時、機《はた》を織った少《わか》い方の婦人《おんな》が目に浮んだ、赫燿《かくよう》として菜の花に。 「……じゃ、あの、やっぱり農家の娘で、」 「否々《いやいや》、大財産家《だいざいさんか》の細君でございます。」 「違いました、」  と我を忘れて、呟《つぶや》いたが、 「そうですか、大財産家《おおがねもち》の細君ですか、じゃもう主《ぬし》ある花なんですね。」 「さようでございます。それがために、貴下《あなた》、」 「なるほど、他人のものですね。そうして誰が見ても綺麗《きれい》ですか、美人なんですかい。」 「はい、夏向《なつむき》は随分《ずいぶん》何千人という東京からの客人で、目の覚めるような美麗《びれい》な方《かた》もありまするが、なかなかこれほどのはないでございます。」 「じゃ、私《わたし》が見ても恋煩《こいわずら》いをしそうですね、危険《けんのん》、危険《けんのん》。」  出家は真面目に、 「何故《なぜ》でございますか。」 「帰路《かえり》には気を注《つ》けねばなりません。何処《どこ》ですか、その財産家の家《うち》は。」        十  菜種《なたね》にまじる茅家《かやや》のあなたに、白波と、松吹風《まつふくかぜ》を右左《みぎひだ》り、其処《そこ》に旗のような薄霞《うすがすみ》に、しっとりと紅《くれない》の染《そ》む状《さま》に桃の花を彩《いろど》った、その屋《や》の棟《むね》より、高いのは一つもない。 「角《かど》の、あの二階家《にかいや》が、」 「ええ?」 「あれがこの歌のかき人《て》の住居《すまい》でござってな。」  聞くものは慄然《ぞっ》とした。  出家は何んの気もつかずに、 「尤《もっと》も彼処《あすこ》へは、去年の秋、細君だけが引越《ひきこ》して参ったので。丁《ちょう》ど私《わたくし》がお宿を致したその御仁《ごじん》が……お名は申しますまい。」 「それが可《よ》うございます。」 「唯《ただ》、客人――でお話をいたしましょう。その方《かた》が、庵室《あんじつ》に逗留中、夜分な、海へ入って亡《な》くなりました。」 「溺《おぼ》れたんですか、」 「と……まあ見えるでございます、亡骸《なきがら》が岩に打揚《うちあ》げられてござったので、怪我《けが》か、それとも覚悟の上か、そこは先《ま》ず、お聞取《ききと》りの上の御推察でありますが、私は前《ぜん》申す通り、この歌のためじゃようにな、」 「何しろ、それは飛んだ事です。」 「その客人が亡くなりまして、二月《ふたつき》ばかり過ぎてから、彼処《あすこ》へ、」  と二階家の遥《はるか》なのを、雲の上から蔽《おお》うよう、出家は法衣《ころも》の袖《そで》を上げて、 「細君が引越して来ましたので。恋じゃ、迷《まよい》じゃ、という一騒《ひとさわ》ぎござった時分は、この浜方《はまがた》の本宅に一家族、……唯今《ただいま》でも其処《そこ》が本家、まだ横浜にも立派な店《たな》があるのでありまして、主人は大方《おおかた》その方《ほう》へ参っておりましょうが。  この久能谷《くのや》の方は、女中ばかり、真《まこと》に閑静に住んでおります。」 「すると別荘なんですね。」 「いやいや、――どうも話がいろいろになります、――ところが久能谷の、あの二階家が本宅じゃそうで、唯今の主人も、あの屋根の下で生れたげに申します。  その頃は幽《かすか》な暮しで、屋根と申した処《ところ》が、ああではありますまい。月も時雨《しぐれ》もばらばら葺《ぶき》。それでも先代の親仁《おやじ》と言うのが、もう唯今では亡くなりましたが、それが貴下《あなた》、小作人ながら大の節倹家《しまつや》で、積年の望みで、地面を少しばかり借りましたのが、私《わたくし》庵室《あんじつ》の背戸《せど》の地続きで、以前立派な寺がありました。その住職《じゅうしょく》の隠居所《いんきょじょ》の跡だったそうにございますよ。  豆を植えようと、まことにこう天気の可《い》い、のどかな、陽炎《かげろう》がひらひら畔《あぜ》に立つ時分。  親仁殿《おやじどの》、鍬《くわ》をかついで、この坂下へ遣《や》って来て、自分の借地《しゃくち》を、先《ま》ずならしかけたのでございます。  とッ様|昼上《ひるあが》りにせっせえ、と小児《こども》が呼びに来た時分、と申すで、お昼頃でありましょうな。  朝|疾《と》くから、出しなには寒かったで、布子《ぬのこ》の半纏《はんてん》を着ていたのが、その陽気なり、働き通しじゃ。親仁殿は向顱巻《むこうはちまき》、大肌脱《おおはだぬぎ》で、精々《せっせっ》と遣《や》っていた処《ところ》。大抵《たいてい》借用分の地券面《ちけんめん》だけは、仕事が済んで、これから些《ち》とほまちに山を削ろうという料簡《りょうけん》。ずかずか山の裾《すそ》を、穿《ほ》りかけていたそうでありますが、小児《こども》が呼びに来たについて、一服《いっぷく》遣《や》るべいかで、もう一鍬《ひとくわ》、すとんと入れると、急に土が軟《やわら》かく、ずぶずぶと柄《え》ぐるみにむぐずり込んだで。  ずいと、引抜いた鍬《くわ》について、じとじとと染《にじ》んで出たのが、真紅《まっか》な、ねばねばとした水じゃ、」 「死骸ですか、」と切込《きりこ》んだ。 「大違い、大違い、」  と、出家は大きくかぶりを掉《ふ》って、 「註文《ちゅうもん》通り、金子《かね》でござる、」 「なるほど、穿当《ほりあ》てましたね。」 「穿当《ほりあ》てました。海の中でも紅《べに》色の鱗《うろこ》は目覚《めざま》しい。土を穿《ほ》って出る水も、そういう場合には紫より、黄色より、青い色より、その紅色が一番見る目を驚かせます。  はて、何んであろうと、親仁殿《おやじどの》が固くなって、もう二、三度|穿《ほ》り拡げると、がっくり、うつろになったので、山の腹へ附着《くッつ》いて、こう覗《のぞ》いて見たそうにござる。」        十一 「大蛇《だいじゃ》が顋《あぎと》を開《あ》いたような、真紅《まっか》な土の空洞《うつろ》の中に、づほらとした黒い塊《かたまり》が見えたのを、鍬《くわ》の先で掻出《かきだ》して見ると――甕《かめ》で。  蓋《ふた》が打欠《ぶっか》けていたそうでございますが、其処《そこ》からもどろどろと、その丹色《にいろ》に底澄《そこす》んで光のある粘土《ねばつち》ようのものが充満《いっぱい》。  別に何んにもありませんので、親仁殿《おやじどの》は惜気《おしげ》もなく打覆《ぶっかえ》して、もう一箇《ひとつ》あった、それも甕で、奥の方へ縦《たて》に二ツ並んでいたと申します――さあ、この方が真物《ほんもの》でござった。  開《あ》けかけた蓋を慌《あわ》てて圧《おさ》えて、きょろきょろと其処《そこ》ら※[#「目+句」、unicode7717]《みまわ》したそうでございますよ。  傍《そば》にいて覗《のぞ》き込んでいた、自分の小児《こども》をさえ、睨《にら》むようにして、じろりと見ながら、どう悠々《ゆうゆう》と、肌《はだ》なぞを入れておられましょう。  素肌《すはだ》へ、貴下《あなた》、嬰児《あかんぼ》を負《おぶ》うように、それ、脱いで置いたぼろ半纏《ばんてん》で、しっかりくるんで、背負上《しょいあ》げて、がくつく腰を、鍬《くわ》を杖《つえ》にどッこいなじゃ。黙っていろよ、何んにも言うな、きっと誰にも饒舌《しゃべ》るでねえぞ、と言い続けて、内《うち》へ帰って、納戸《なんど》を閉切《しめき》って暗くして、お仏壇《ぶつだん》の前へ筵《むしろ》を敷いて、其処《そこ》へざくざくと装上《もりあ》げた。尤《もっと》も年が経《た》って薄黒くなっていたそうでありますが、その晩から小屋は何んとなく暗夜《やみよ》にも明るかった、と近所のものが話でござって。  極性《ごくしょう》な朱《しゅ》でござったろう、ぶちまけた甕《かめ》充満《いっぱい》のが、時ならぬ曼珠沙華《まんじゅしゃげ》が咲いたように、山際《やまぎわ》に燃えていて、五月雨《さみだれ》になって消えましたとな。  些《ちっ》と日数《ひかず》が経ってから、親仁どのは、村方《むらかた》の用達《ようたし》かたがた、東京へ参ったついでに芝口《しばぐち》の両換店《りょうがえや》へ寄って、汚《きたな》い煙草入《たばこいれ》から煙草の粉だらけなのを一枚だけ、そっと出して、いくらに買わっしゃる、と当って見ると、いや抓《つま》んだ爪《つめ》の方が黄色いくらいでござったに、正《しょう》のものとて争われぬ、七|両《りょう》ならば引替《ひきか》えにと言うのを、もッと気張《きば》ってくれさっせえで、とうとう七両一|分《ぶ》に替えたのがはじまり。  そちこち、気長《きなが》に金子《かね》にして、やがて船一|艘《そう》、古物《ふるもの》を買い込んで、海から薪炭《まきすみ》の荷を廻し、追々《おいおい》材木へ手を出しかけ、船の数も七艘までに仕上げた時、すっぱりと売物に出して、さて、地面を買う、店を拡げる、普請《ふしん》にかかる。  土台が極《きま》ると、山の貸元《かしもと》になって、坐っていて商売が出来るようになりました、高利《こうり》は貸します。  どかとした山の林が、あの裸になっては、店さきへすくすくと並んで、いつの間にか金《かね》を残しては何処《どこ》へか参る。  そのはずでござるて。  利のつく金子《かね》を借りて山を買う、木を伐《き》りかけ、資本《もとで》に支《つか》える。ここで材木を抵当《ていとう》にして、また借りる。すぐに利がつく、また伐りかかる、資本《もとで》に支《つか》える、また借りる、利でござろう。借りた方は精々《せっせっ》と樹《き》を伐《き》り出して、貸元《かしもと》の店へ材木を並べるばかり。追っかけられて見切って売るのを、安く買い込んでまた儲《もう》ける。行ったり、来たり、家の前を通るものが、金子《かね》を置いては失せるのであります。  妻子眷属《さいしけんぞく》、一時《いっとき》にどしどしと殖《ふ》えて、人は唯《ただ》、天狗《てんぐ》が山を飲むような、と舌を巻いたでありまするが、蔭《かげ》じゃ――その――鍬《くわ》を杖《つえ》で胴震《どうぶる》いの一件をな、はははは、こちとら、その、も一ツの甕《かめ》の朱《しゅ》の方だって、手を押《おッ》つけりゃ血になるだ、なぞと、ひそひそ話《ばなし》を遣《や》るのでござって、」 「そういう人たちはまた可《い》い塩梅《あんばい》に穿《ほ》り当てないもんですよ。」  と顔を見合わせて二人が笑った。 「よくしたものでございます。いくら隠していることでも何処《どこ》をどうして知れますかな。  いや、それについて、」  出家は思出《おもいだ》したように、 「こういう話がございます。その、誰にも言うな、と堅く口留《くちど》めをされた斉之助《せいのすけ》という小児《こども》が、(父様《とっさま》は野良《のら》へ行って、穴のない天保銭《てんぽうせん》をドシコと背負《しょ》って帰らしたよ。)  ……如何《いかが》でござる、ははははは。」 「なるほど、穴のない天保銭。」 「その穴のない天保銭が、当主でございます。多額納税議員《たがくのうぜいぎいん》、玉脇斉之助《たまわきせいのすけ》、令夫人おみを殿、その歌をかいた美人であります、如何《いかが》でございます、貴下《あなた》、」        十二 「先ずお茶を一ツ。御約束通り渋茶でござって、碌《ろく》にお茶台《ちゃだい》もありませんかわりには、がらんとして自然に片づいております。お寛《くつろ》ぎ下さい。秋になりますると、これで町へ遠うございますかわりには、栗《くり》柿《かき》に事を欠きませぬ。烏《からす》を追って柿を取り、高音《たかね》を張ります鵙《もず》を驚かして、栗を落してなりと差上げましょうに。  まあ、何よりもお楽に、」  と袈裟《けさ》をはずして釘《くぎ》にかけた、障子《しょうじ》に緋桃《ひもも》の影法師《かげぼうし》。今物語《いまものがたり》の朱《しゅ》にも似て、破目《やれめ》を暖《あたたか》く燃ゆる状《さま》、法衣《ころも》をなぶる風情《ふぜい》である。  庵室《あんじつ》から打仰《うちあお》ぐ、石の階子《はしご》は梢《こずえ》にかかって、御堂《みどう》は屋根のみ浮いたよう、緑の雲にふっくりと沈んで、山の裾《すそ》の、縁《えん》に迫って萌葱《もえぎ》なれば、あま下《さが》る蚊帳《かや》の外に、誰《たれ》待つとしもなき二人、煙《けぶ》らぬ火鉢のふちかけて、ひらひらと蝶《ちょう》が来る。 「御堂《おどう》の中では何んとなく気もあらたまります。此処《ここ》でお茶をお入れ下すった上のお話じゃ、結構《けっこう》過ぎますほどですが、あの歌に分れて来たので、何んだかなごり惜《おし》い心持《こころもち》もします。」 「けれども、石段だけも、婀娜《あだ》な御本尊《ごほんぞん》へは路《みち》が近うなってございますから、はははは。  実《じつ》の処《ところ》仏の前では、何か私《わたくし》が自分に懺悔《ざんげ》でもしまするようで心苦しい。此処《ここ》でありますと大きに寛《くつろ》ぐでございます。  師のかげを七|尺《しゃく》去るともうなまけの通りで、困ったものでありますわ。  そこで客人でございます。――  日頃のお話ぶり、行為《おこない》、御容子《ごようす》な、」 「どういう人でした。」 「それは申しますまい。私も、盲目《めくら》の垣覗《かきのぞ》きよりもそッと近い、机覗《つくえのぞ》きで、読んでおいでなさった、書物《しょもつ》などの、お話も伺《うかが》って、何をなさる方じゃと言う事も存じておりますが、経文《きょうもん》に書いてあることさえ、愚昧《ぐまい》に饒舌《しゃべ》ると間違います。  故人をあやまり伝えてもなりませず、何か評《ひょう》をやるようにも当りますから、唯々《ただただ》、かのな、婦人との模様だけ、お物語りしましょうで。  一日《あるひ》晩方《ばんがた》、極暑《ごくしょ》のみぎりでありました。浜の散歩から返ってござって、(和尚《おしょう》さん、些《ちっ》と海へ行って御覧なさいませんか。綺麗《きれい》な人がいますよ。) (ははあ、どんな、貴下《あなた》、) (あの松原の砂路《すなじ》から、小松橋《こまつばし》を渡ると、急にむこうが遠目金《とおめがね》を嵌《は》めたように円《まる》い海になって富士《ふじ》の山が見えますね、)  これは御存じでございましょう。」 「知っていますとも。毎日のように遊びに出ますもの、」 「あの橋の取附《とッつ》きに、松の樹で取廻《とりまわ》して――松原はずッと河を越して広い洲《す》の林になっておりますな――そして庭を広く取って、大玄関《おおげんかん》へ石を敷詰《しきつ》めた、素ばらしい門のある邸《やしき》がございましょう。あれが、それ、玉脇《たまわき》の住居《すまい》で。  実はあの方《ほう》を、東京の方《かた》がなさる別荘を真似《まね》て造ったでありますが、主人が交際《つきあい》ずきで頻《しきり》と客をしまする処《ところ》、いずれ海が、何よりの呼物《よびもの》でありますに。この久能谷《くのや》の方は、些《ちっ》と足場《あしば》が遠くなりますから、すべて、見得装飾《みえかざり》を向うへ持って参って、小松橋《こまつばし》が本宅のようになっております。  そこで、去年の夏頃は、御新姐《ごしんぞ》。申すまでもない、そちらにいたでございます。  でその――小松橋を渡ると、急に遠目金《とおめがね》を覗《のぞ》くような円《まる》い海の硝子《がらす》へ――ぱっと一杯に映《うつ》って、とき色の服の姿が浪《なみ》の青いのと、巓《いただき》の白い中へ、薄い虹《にじ》がかかったように、美しく靡《なび》いて来たのがある。……  と言われたは、即《すなわ》ち、それ、玉脇の……でございます。  しかし、その時はまだ誰だか本人も御存じなし、聞く方でも分りませんので。どういう別嬪《べっぴん》でありました、と串戯《じょうだん》にな、団扇《うちわ》で煽《あお》ぎながら聞いたでございます。  客人は海水帽を脱いだばかり、まだ部屋へも上《あが》らず、その縁側《えんがわ》に腰をかけながら。 (誰方《どなた》か、尊《とうと》いくらいでした。)」        十三 「大分《だいぶ》気高く見えましたな。  客人が言うには、 (二、三|間《げん》あいを置いて、おなじような浴衣《ゆかた》を着た、帯を整然《きちん》と結んだ、女中と見えるのが附いて通りましたよ。  唯《ただ》すれ違いざまに見たんですが、目鼻立ちのはっきりした、色の白いことと、唇の紅《あか》さったらありませんでした。  盛装という姿だのに、海水帽をうつむけに被《かぶ》って――近所の人ででもあるように、無造作に見えましたっけ。むこう、そうやって下を見て帽子の廂《ひさし》で日を避《よ》けるようにして来たのが、真直《まっすぐ》に前へ出たのと、顔を見合わせて、両方へ避《さ》ける時、濃い睫毛《まつげ》から瞳《ひとみ》を涼しく※[#「目+爭」、unicode775C]《みひら》いたのが、雪舟《せっしゅう》の筆を、紫式部《むらさきしきぶ》の硯《すずり》に染めて、濃淡のぼかしをしたようだった。  何んとも言えない、美しさでした。  いや、こういうことをお話します、私《わたし》は鳥羽絵《とばえ》に肖《に》ているかも知れない。  さあ、御飯《ごはん》を頂いて、柄相応《がらそうおう》に、月夜の南瓜畑《とうなすばたけ》でもまた見に出ましょうかね。)  爾晩《そのばん》は貴下《あなた》、唯《ただ》それだけの事で。  翌日また散歩に出て、同じ時分に庵室《あんじつ》へ帰って見えましたから、私《わたくし》が串戯《じょうだん》に、 (雪舟の筆は如何《いかが》でござった。) (今日は曇った所為《せい》か見えませんでした。)  それから二、三日|経《た》って、 (まだお天気が直りませんな。些《ち》と涼しすぎるくらい、御歩行《おひろい》には宜《よろ》しいが、やはり雲がくれでござったか。) (否《いや》、源氏《げんじ》の題に、小松橋《こまつばし》というのはありませんが、今日はあの橋の上で、) (それは、おめでたい。)  などと笑いまする。 (まるで人違いをしたように粋《いき》でした。私《わたし》がこれから橋を渡ろうという時、向うの袂《たもと》へ、十二、三を頭《かしら》に、十歳《とお》ぐらいのと、七八歳《ななやッつ》ばかりのと、男の児《こ》を三人連れて、その中の小さいのの肩を片手で敲《たた》きながら、上から覗《のぞ》き込むようにして、莞爾《にっこり》して橋の上へかかって来ます。  どんな婦人《おんな》でも羨《うらやま》しがりそうな、すなおな、房《ふっさ》りした花月巻《かげつまき》で、薄《うす》お納戸地《なんどじ》に、ちらちらと膚《はだ》の透《す》いたような、何んの中形《ちゅうがた》だか浴衣《ゆかた》がけで、それで、きちんとした衣紋附《えもんつき》。  絽《ろ》でしょう、空色と白とを打合わせの、模様はちょっと分らなかったが、お太鼓《たいこ》に結んだ、白い方が、腰帯に当って水無月《みなづき》の雪を抱《だ》いたようで、見る目に、ぞッとして擦《す》れ違う時、その人は、忘れた形《なり》に手を垂れた、その両手は力なさそうだったが、幽《かすか》にぶるぶると肩が揺れたようでした、傍《そば》を通った男の気《け》に襲われたものでしょう。  通《とお》り縋《すが》ると、どうしたのか、我を忘れたように、私《わたし》は、あの、低い欄干《らんかん》へ、腰をかけてしまったんです。抜けたのだなぞと言っては不可《いけ》ません。下は川ですから、あれだけの流れでも、落《おっこ》ちようもんならそれっきりです――淵《ふち》や瀬でないだけに、救助船《たすけぶね》とも喚《わめ》かれず、また叫んだ処《ところ》で、人は串戯《じょうだん》だと思って、笑って見殺しにするでしょう、泳《およぎ》を知らないから、)  と言って苦笑《にがわらい》をしなさったっけ……それが真実《まこと》になったのでございます。  どうしたことか、この恋煩《こいわずらい》に限っては、傍《はた》のものは、あはあは、笑って見殺しにいたします。  私《わたくし》はじめ串戯《じょうだん》半分、ひやかしかたがた、今日《こんにち》は例のは如何《いかが》で、などと申したでございます。  これは、貴下《あなた》でもさようでありましょう。」  されば何んと答えよう、喫《の》んでた煙草《たばこ》の灰をはたいて、 「ですがな……どうも、これだけは真面目《まじめ》に介抱《かいほう》は出来かねます。娘が煩《わずら》うのだと、乳母《うば》が始末をする仕来《しきた》りになっておりますがね、男のは困りますな。  そんな時、その川で沙魚《はぜ》でも釣っていたかったですね。」 「ははは、これはおかしい。」  と出家は興《きょう》ありげにハタと手を打つ。        十四 「これはおかしい、釣《つり》といえば丁《ちょう》どその時、向う詰《づめ》の岸に踞《しゃが》んで、ト釣っていたものがあったでござる。橋詰《はしづめ》の小店《こみせ》、荒物を商《あきな》う家の亭主で、身体《からだ》の痩《や》せて引緊《ひっしま》ったには似ない、褌《ふんどし》の緩《ゆる》い男で、因果《いんが》とのべつ釣をして、はだけていましょう、真《まこと》にあぶなッかしい形でな。  渾名《あだな》を一厘土器《いちもんかわらけ》と申すでござる。天窓《あたま》の真中の兀工合《はげぐあい》が、宛然《さながら》ですて――川端の一厘土器《いちもんかわらけ》――これが爾時《そのとき》も釣っていました。  庵室《あんじつ》の客人が、唯今《ただいま》申す欄干《らんかん》に腰を掛けて、おくれ毛越《げごし》にはらはらと靡《なび》いて通る、雪のような襟脚《えりあし》を見送ると、今、小橋《こばし》を渡った処《ところ》で、中の十歳《とお》位のがじゃれて、その腰へ抱《だ》き着いたので、白魚《しらお》という指を反《そ》らして、軽くその小児《こども》の背中を打った時だったと申します。 (お坊《ぼっ》ちゃま、お坊ちゃま、)  と大声で呼び懸けて、 (手巾《ハンケチ》が落ちました、)と知らせたそうでありますが、件《くだん》の土器殿《かわらけどの》も、餌《えさ》は振舞《ふるま》う気で、粋《いき》な後姿を見送っていたものと見えますよ。 (やあ、)と言って、十二、三の一番上の児《こ》が、駈けて返って、橋の上へ落して行った白い手巾《ハンケチ》を拾ったのを、懐中《ふところ》へ突込《つッこ》んで、黙ってまた飛んで行ったそうで。小児《こども》だから、辞儀《じぎ》も挨拶《あいさつ》もないでございます。  御新姐《ごしんぞ》が、礼心《れいごころ》で顔だけ振向いて、肩へ、頤《おとがい》をつけるように、唇を少し曲げて、その涼《すずし》い目で、熟《じっ》とこちらを見返ったのが取違えたものらしい。私《わたくし》が許《とこ》の客人と、ぴったり出会ったでありましょう。  引込《ひきこ》まれて、はッと礼を返したが、それッきり。御新姐《ごしんぞ》の方は見られなくって、傍《わき》を向くと貴下《あなた》、一厘土器《いちもんかわらけ》が怪訝《けげん》な顔色《かおつき》。  いやもう、しっとり冷汗《ひやあせ》を掻いたと言う事、――こりゃなるほど。極《きまり》がよくない。  局外《はた》のものが何んの気もなしに考えれば、愚にもつかぬ事なれど、色気があって御覧《ごろう》じろ。第一、野良声《のらごえ》の調子ッぱずれの可笑《おかし》い処《ところ》へ、自分主人でもない余所《よそ》の小児《こども》を、坊やとも、あの児《こ》とも言うにこそ、へつらいがましい、お坊ちゃまは不見識の行止《ゆきどま》り、申さば器量《きりょう》を下げた話。  今一方《いまいっぽう》からは、右の土器殿《かわらけどの》にも小恥《こっぱず》かしい次第でな。他人のしんせつで手柄をしたような、変な羽目になったので。  御本人、そうとも口へ出して言われませなんだが、それから何んとなく鬱《ふさ》ぎ込むのが、傍目《よそめ》にも見えたであります。  四、五日、引籠《ひきこも》ってござったほどで。  後《のち》に、何も彼《か》も打明けて私《わたくし》に言いなさった時の話では、しかしまたその間違《まちがい》が縁《えん》になって、今度出会った時は、何んとなく両方で挨拶《あいさつ》でもするようになりはせまいか。そうすれば、どんなにか嬉《うれ》しかろう、本望《ほんもう》じゃ、と思われたそうな。迷いと申すはおそろしい、情《なさけ》ないものでござる。世間|大概《たいがい》の馬鹿も、これほどなことはないでございます。  三度目には御本人、」 「また出会ったんですかい。」  と聞くものも待ち構える。 「今度は反対に、浜の方から帰って来るのと、浜へ出ようとする御新姐《ごしんぞ》と、例の出口の処で逢ったと言います。  大分もう薄暗くなっていましたそうで……土用《どよう》あけからは、目に立って日が詰《つま》ります処《ところ》へ、一度は一度と、散歩のお帰りが遅くなって、蚊遣《かや》りでも我慢が出来ず、私《わたくし》が此処《ここ》へ蚊帳《かや》を釣って潜込《もぐりこ》んでから、帰って見えて、晩飯《ばんめし》ももう、なぞと言われるさえ折々の事。  爾時《そのとき》も、早や黄昏《たそがれ》の、とある、人顔《ひとがお》、朧《おぼろ》ながら月が出たように、見違えないその人と、思うと、男が五人、中に主人もいたでありましょう。婦人《おんな》は唯《ただ》御新姐《ごしんぞ》一人、それを取巻く如くにして、どやどやと些《ち》と急足《いそぎあし》で、浪打際《なみうちぎわ》の方へ通ったが、その人数《にんず》じゃ、空頼《そらだの》めの、余所《よそ》ながら目礼|処《どころ》の騒ぎかい、貴下《あなた》、その五人の男というのが。」        十五 「眉の太い、怒《いか》り鼻《ばな》のがあり、額《ひたい》の広い、顎《あご》の尖《とが》った、下目《しため》で睨《にら》むようなのがあり、仰向《あおむ》けざまになって、頬髯《ほおひげ》の中へ、煙も出さず葉巻を突込《つッこ》んでいるのがある。くるりと尻を引捲《ひんまく》って、扇子《せんす》で叩いたものもある。どれも浴衣《ゆかた》がけの下司《げす》は可《い》いが、その中に浅黄《あさぎ》の兵児帯《へこおび》、結目《むすびめ》をぶらりと二尺ぐらい、こぶらの辺《あたり》までぶら下げたのと、緋縮緬《ひぢりめん》の扱帯《しごき》をぐるぐる巻きに胸高《むなだか》は沙汰《さた》の限《かぎり》。前のは御自分ものであろうが、扱帯《しごき》の先生は、酒の上で、小間使《こまづかい》のを分捕《ぶんどり》の次第らしい。  これが、不思議に客人の気を悪くして、入相《いりあい》の浪も物凄《ものすご》くなりかけた折からなり、あの、赤鬼《あかおに》青鬼《あおおに》なるものが、かよわい人を冥土《めいど》へ引立《ひきた》てて行《ゆ》くようで、思いなしか、引挟《ひきはさ》まれた御新姐《ごしんぞ》は、何んとなく物寂《ものさび》しい、快《こころよ》からぬ、滅入《めい》った容子《ようす》に見えて、ものあわれに、命がけにでも其奴《そいつ》らの中から救って遣《や》りたい感じが起った。家庭の様子もほぼ知れたようで、気が揉《も》める、と言われたのでありますが、貴下《あなた》、これは無理じゃて。  地獄の絵に、天女が天降《あまくだ》った処《ところ》を描いてあって御覧なさい。餓鬼《がき》が救われるようで尊《とうと》かろ。  蛇が、つかわしめじゃと申すのを聞いて、弁財天《べんざいてん》を、ああ、お気の毒な、さぞお気味が悪かろうと思うものはありますまいに。迷いじゃね。」  散策子はここに少しく腕組みした。 「しかし何ですよ、女は、自分の惚《ほ》れた男が、別嬪《べっぴん》の女房を持ってると、嫉妬《やく》らしいようですがね。男は反対です、」  と聊《いささ》か論ずる口吻《くちぶり》。 「ははあ、」 「男はそうでない。惚れてる婦人《おんな》が、小野小町花《おののこまちのはな》、大江千里月《おおえのちさとのつき》という、対句《ついく》通りになると安心します。  唯今《ただいま》の、その浅黄《あさぎ》の兵児帯《へこおび》、緋縮緬《ひぢりめん》の扱帯《しごき》と来ると、些《ち》と考えねばならなくなる。耶蘇教《やそきょう》の信者の女房が、主《しゅ》キリストと抱かれて寝た夢を見たと言うのを聞いた時の心地《こころもち》と、回々教《フイフイきょう》の魔神《ましん》になぐさまれた夢を見たと言うのを聞いた時の心地《こころもち》とは、きっとそれは違いましょう。  どっち路《みち》、嬉《うれし》くない事は知れていますがね、前のは、先《ま》ず先ずと我慢が出来る、後《あと》のは、堪忍《かんにん》がなりますまい。  まあ、そんな事は措《お》いて、何んだってまた、そう言う不愉快な人間ばかりがその夫人を取巻いているんでしょう。」 「そこは、玉脇《たまわき》がそれ鍬《くわ》の柄《つか》を杖《つえ》に支《つ》いて、ぼろ半纏《ばんてん》に引《ひっ》くるめの一件で、ああ遣《や》って大概《たいがい》な華族も及ばん暮しをして、交際にかけては銭金《ぜにかね》を惜《おし》まんでありますが、情《なさけ》ない事には、遣方《やりかた》が遣方《やりかた》ゆえ、身分、名誉ある人は寄《よッ》つきませんで、悲哉《かなしいかな》その段は、如何《いかが》わしい連中ばかり。」 「お待ちなさい、なるほど、そうするとその夫人と言うは、どんな身分の人なんですか。」  出家はあらためて、打頷《うちうなず》き、かつ咳《しわぶき》して、 「そこでございます、御新姐《ごしんぞ》はな、年紀《とし》は、さて、誰《たれ》が目にも大略《たいりゃく》は分ります、先ず二十三、四、それとも五、六かと言う処《ところ》で、」 「それで三人の母様《おっかさん》? 十二、三のが頭《かしら》ですかい。」 「否《いいえ》、どれも実子《じっし》ではないでございます。」 「ままッ児《こ》ですか。」 「三人とも先妻が産みました。この先妻についても、まず、一《ひと》くさりのお話はあるでございますが、それは余事《よじ》ゆえに申さずとも宜《よろ》しかろ。  二、三年前に、今のを迎えたのでありますが、此処《ここ》でありますよ。  何処《どこ》の生れだか、育ちなのか、誰の娘だか、妹だか、皆目《かいもく》分らんでございます。貸して、かたに取ったか、出して買うようにしたか。落魄《おちぶ》れた華族のお姫様じゃと言うのもあれば、分散した大所《おおどこ》の娘御《むすめご》だと申すのもあります。そうかと思うと、箔《はく》のついた芸娼妓《くろうと》に違いないと申すもあるし、豪《えら》いのは高等|淫売《いんばい》の上《あが》りだろうなどと、甚《はなはだ》しい沙汰《さた》をするのがござって、丁《とん》と底知れずの池に棲《す》む、ぬし[#「ぬし」に傍点]と言うもののように、素性《すじょう》が分らず、ついぞ知ったものもない様子。」        十六 「何にいたせ、私《わたくし》なぞが通りすがりに見懸けましても、何んとも当りがつかぬでございます。勿論また、坊主に鑑定の出来ようはずはなけれどもな。その眉のかかり、目つき、愛嬌《あいきょう》があると申すではない。口許《くちもと》なども凛《りん》として、世辞《せじ》を一つ言うようには思われぬが、唯《ただ》何んとなく賢げに、恋も無常も知り抜いた風《ふう》に見える。身体《からだ》つきにも顔つきにも、情《なさけ》が滴《したた》ると言った状《さま》じゃ。  恋い慕うものならば、馬士《うまかた》でも船頭でも、われら坊主でも、無下《むげ》に振切《ふりき》って邪険《じゃけん》にはしそうもない、仮令《たとえ》恋はかなえぬまでも、然《しか》るべき返歌はありそうな。帯の結目《むすびめ》、袂《たもと》の端《はし》、何処《どこ》へちょっと障《さわ》っても、情《なさけ》の露は男の骨を溶解《とろ》かさずと言うことなし、と申す風情《ふぜい》。  されば、気高いと申しても、天人神女《てんにんしんにょ》の俤《おもかげ》ではのうて、姫路《ひめじ》のお天守《てんしゅ》に緋《ひ》の袴《はかま》で燈台の下に何やら書を繙《ひもど》く、それ露が滴《したた》るように婀娜《あで》なと言うて、水道の水で洗い髪ではござらぬ。人跡《じんせき》絶えた山中の温泉に、唯《ただ》一人雪の膚《はだえ》を泳がせて、丈《たけ》に余る黒髪を絞るとかの、それに肖《に》まして。  慕わせるより、懐《なつか》しがらせるより、一目見た男を魅《み》する、力《ちから》広大《こうだい》。少《すくな》からず、地獄、極楽、娑婆《しゃば》も身に附絡《つきまと》うていそうな婦人《おんな》、従《したご》うて、罪も報《むくい》も浅からぬげに見えるでございます。  ところへ、迷うた人の事なれば、浅黄《あさぎ》の帯に緋《ひ》の扱帯《しごき》が、牛頭《ごず》馬頭《めず》で逢魔時《おうまがとき》の浪打際《なみうちぎわ》へ引立《ひきた》ててでも行《ゆ》くように思われたのでありましょう――私《わたくし》どもの客人が――そういう心持《こころもち》で御覧なさればこそ、その後《ご》は玉脇《たまわき》の邸《やしき》の前を通《とおり》がかり。……  浜へ行《ゆ》く町から、横に折れて、背戸口《せどぐち》を流れる小川の方へ引廻《ひきまわ》した蘆垣《あしがき》の蔭《かげ》から、松林の幹と幹とのなかへ、襟《えり》から肩のあたり、くっきりとした耳許《みみもと》が際立《きわだ》って、帯も裾《すそ》も見えないのが、浮出《うきだ》したように真中へあらわれて、後前《あとさき》に、これも肩から上ばかり、爾時《そのとき》は男が三人、一《ひと》ならびに松の葉とすれすれに、しばらく桔梗《ききょう》刈萱《かるかや》が靡《なび》くように見えて、段々《だんだん》低くなって隠れたのを、何か、自分との事のために、離座敷《はなれざしき》か、座敷牢《ざしきろう》へでも、送られて行《ゆ》くように思われた、後前《あとさき》を引挟《ひっぱさ》んだ三人の漢《おとこ》の首の、兇悪なのが、確《たしか》にその意味を語っていたわ。もうこれきり、未来まで逢《あ》えなかろうかとも思われる、と無理なことを言うのであります。  さ、これもじゃ、玉脇の家の客人だち、主人まじりに、御新姐《ごしんぞ》が、庭の築山《つきやま》を遊んだと思えば、それまででありましょうに。  とうとう表通りだけでは、気が済まなくなったと見えて、前《まえ》申した、その背戸口《せどぐち》、搦手《からめて》のな、川を一つ隔てた小松原の奥深く入《い》り込んで、うろつくようになったそうで。  玉脇の持地《もちじ》じゃありますが、この松原は、野開《のびら》きにいたしてござる。中には汐入《しおいり》の、ちょっと大きな池もあります。一面に青草《あおぐさ》で、これに松の翠《みどり》がかさなって、唯今頃《ただいまごろ》は菫《すみれ》、夏は常夏《とこなつ》、秋は萩《はぎ》、真個《まこと》に幽翠《ゆうすい》な処《ところ》、些《ち》と行らしって御覧《ごろう》じろ。」 「薄暗い処ですか、」 「藪《やぶ》のようではありません。真蒼《まっさお》な処であります。本でも御覧なさりながらお歩行《ある》きには、至極|宜《よろ》しいので、」 「蛇がいましょう、」  と唐突《だしぬけ》に尋ねた。 「お嫌いか。」 「何とも、どうも、」 「否《いえ》、何の因果か、あのくらい世の中に嫌われるものも少のうござる。  しかし、気をつけて見ると、あれでもしおらしいもので、路端《みちばた》などを我《われ》は顔《がお》で伸《の》してる処《ところ》を、人が参って、熟《じっ》と視《なが》めて御覧なさい。見返しますがな、極りが悪そうに鎌首《かまくび》を垂れて、向うむきに羞含《はにか》みますよ。憎くないもので、ははははは、やはり心がありますよ。」 「心があられてはなお困るじゃありませんか。」 「否《いえ》、塩気を嫌うと見えまして、その池のまわりには些《ちっ》ともおりません。邸《やしき》にはこの頃じゃ、その魅《み》するような御新姐《ごしんぞ》も留主《るす》なり、穴《あな》はすかすかと真黒《まっくろ》に、足許に蜂《はち》の巣になっておりましても、蟹《かに》の住居《すまい》、落ちるような憂慮《きづかい》もありません。」        十七 「客人は、その穴さえ、白髑髏《されこうべ》の目とも見えたでありましょう。  池をまわって、川に臨んだ、玉脇の家造《やづくり》を、何か、御新姐《ごしんぞ》のためには牢獄ででもあるような考えでござるから。  さて、潮《しお》のさし引《ひき》ばかりで、流れるのではありません、どんより鼠色《ねずみいろ》に淀《よど》んだ岸に、浮きもせず、沈みもやらず、末始終《すえしじゅう》は砕けて鯉《こい》鮒《ふな》にもなりそうに、何時頃《いつごろ》のか五、六本、丸太が浸《ひた》っているのを見ると、ああ、切組《きりく》めば船になる。繋合《つなぎあ》わせば筏《いかだ》になる。しかるに、綱も棹《さお》もない、恋の淵《ふち》はこれで渡らねばならないものか。  生身《いきみ》では渡られない。霊魂《たましい》だけなら乗れようものを。あの、樹立《こだち》に包まれた木戸《きど》の中には、その人が、と足を爪立《つまだ》ったりなんぞして。  蝶《ちょう》の目からも、余りふわふわして見えたでござろう。小松の中をふらつく自分も、何んだかその、肩から上ばかりに、裾《すそ》も足もなくなった心地、日中《ひなか》の妙《みょう》な蝙蝠《こうもり》じゃて。  懐中《かいちゅう》から本を出して、 [#ここから4字下げ] 蝋光高懸照紗空《ろうこうたかくかかりしゃをてらしてむなし》、    花房夜搗紅守宮《かぼうよるつくこうしゅきゅう》、 |象口吹香※[#unicodeE009、62-12]※[#unicodeE047、62-12」]暖《ぞうこうこうをふいてとうとうあたたかに》、    七星挂城聞漏板《しちせいしろにかかってろうばんをきく》、 寒入罘※[#unicodeE00B、62-13]殿影昏《さむさふしにいってでんえいくらく》、    彩鸞簾額著霜痕《さいらんれんがくそうこんをつく》、 [#ここで字下げ終わり]  ええ、何んでも此処《ここ》は、蛄《けら》が鉤闌《こうらん》の下に月に鳴く、魏《ぎ》の文帝《ぶんてい》に寵《ちょう》せられた甄夫人《けんふじん》が、後《のち》におとろえて幽閉されたと言うので、鎖阿甄《あけんをとざす》。とあって、それから、 [#ここから4字下げ] 夢入家門上沙渚《ゆめにかもんにいってしゃしょにのぼる》、    天河落処長洲路《てんがおつるところちょうしゅうのみち》、 願君光明如太陽《ねがわくばきみこうみょうたいようのごとくなれ》、 [#ここで字下げ終わり]  妾《しょう》を放《はな》て、そうすれば、魚《うお》に騎《き》し、波を※[#「てへん+敝」、unicode6487]《ひら》いて去らん、というのを微吟《びぎん》して、思わず、襟《えり》にはらはらと涙が落ちる。目を※[#「目+爭」、unicode775C]《みは》って、その水中の木材よ、いで、浮べ、鰭《ひれ》ふって木戸に迎えよ、と睨《にら》むばかりに瞻《みつ》めたのでござるそうな。些《ち》と尋常事《ただごと》でありませんな。  詩は唐詩選《とうしせん》にでもありましょうか。」 「どうですか。ええ、何んですって――夢に家門《かもん》に入って沙渚《しゃしょ》に上《のぼ》る。魂《たましい》が沙漠《さばく》をさまよって歩行《ある》くようね、天河落処長洲路《てんがおつるところちょうしゅうのみち》、あわれじゃありませんか。  それを聞くと、私《わたし》まで何んだか、その婦人が、幽閉されているように思います。  それからどうしましたか。」 「どうと申して、段々|頤《おとがい》がこけて、日に増し目が窪《くぼ》んで、顔の色がいよいよ悪い。  或時《あるとき》、大奮発じゃ、と言うて、停車場《ていしゃば》前の床屋へ、顔を剃《そ》りに行《ゆ》かれました。その時だったと申す事で。  頭を洗うし、久しぶりで、些《ちと》心持《こころもち》も爽《さわやか》になって、ふらりと出ると、田舎《いなか》には荒物屋《あらものや》が多いでございます、紙、煙草《たばこ》、蚊遣香《かやりこう》、勝手道具、何んでも屋と言った店で。床店《とこみせ》の筋向《すじむこ》うが、やはりその荒物店《あらものみせ》であります処《ところ》、戸外《おもて》へは水を打って、軒《のき》の提灯《ちょうちん》にはまだ火を点《とも》さぬ、溝石《みぞいし》から往来へ縁台《えんだい》を跨《また》がせて、差向《さしむか》いに将棊《しょうぎ》を行《や》っています。端《はし》の歩《ふ》が附木《つけぎ》、お定《さだま》りの奴で。  用なしの身体《からだ》ゆえ、客人が其処《そこ》へ寄って、路傍《みちばた》に立って、両方ともやたらに飛車《ひしゃ》角《かく》の取替《とりか》えこ、ころりころり差違《さしちが》えるごとに、ほい、ほい、と言う勇ましい懸声《かけごえ》で。おまけに一人の親仁《おやじ》なぞは、媽々衆《かかしゅう》が行水《ぎょうずい》の間、引渡《ひきわた》されたものと見えて、小児《こども》を一人|胡坐《あぐら》の上へ抱いて、雁首《がんくび》を俯向《うつむ》けに銜《くわ》え煙管《ぎせる》。  で銜《くわ》えたまんま、待てよ、どっこい、と言うたびに、煙管《きせる》が打附《ぶつか》りそうになるので、抱かれた児《こ》は、親仁より、余計に額《ひたい》に皺《しわ》を寄せて、雁首《がんくび》を狙《ねら》って取ろうとする。火は附いていないから、火傷《やけど》はさせぬが、夢中で取られまいと振動《ふりうご》かす、小児《こども》は手を出す、飛車を遁《に》げる。  よだれを垂々《たらたら》と垂らしながら、占《しめ》た! とばかり、やにわに対手《あいて》の玉将《たいしょう》を引掴《ひッつか》むと、大きな口をへの字形《じなり》に結んで見ていた赭《あか》ら顔《がお》で、脊高《せいたか》の、胸の大きい禅門《ぜんもん》が、鉄梃《かなてこ》のような親指で、いきなり勝った方の鼻っ頭《ぱしら》をぐいと掴《つか》んで、豪《えら》いぞ、と引伸《ひんの》ばしたと思《おぼ》し召せ、ははははは。」        十八 「大きな、ハックサメをすると煙草《たばこ》を落した。額《おでこ》こッつりで小児《こども》は泣き出す、負けた方は笑い出す、涎《よだれ》と何んかと一緒でござろう。鼻をつまんだ禅門《ぜんもん》、苦々《にがにが》しき顔色《がんしょく》で、指を持余《もてあま》した、塩梅《あんばい》な。  これを機会《しお》に立去ろうとして、振返ると、荒物屋と葭簀《よしず》一枚、隣家《りんか》が間《ま》に合わせの郵便局で。其処《そこ》の門口《かどぐち》から、すらりと出たのが例のその人。汽車が着いたと見えて、馬車、車がらがらと五、六台、それを見に出たものらしい、郵便局の軒下《のきした》から往来を透かすようにした、目が、ばったり客人と出逢ったでありましょう。  心ありそうに、そうすると直ぐに身を引いたのが、隔ての葭簀《よしず》の陰になって、顔を背向《そむ》けもしないで、其処《そこ》で向直《むきなお》ってこっちを見ました。  軒下の身を引く時、目で引《ひき》つけられたような心持《ここち》がしたから、こっちもまた葭簀越《よしずごし》に。  爾時《そのとき》は、総髪《そうはつ》の銀杏返《いちょうがえし》で、珊瑚《さんご》の五分珠《ごぶだま》の一本差《いっぽんざし》、髪の所為《せい》か、いつもより眉が長く見えたと言います。浴衣《ゆかた》ながら帯には黄金鎖《きんぐさり》を掛けていたそうでありますが、揺れてその音のするほど、こっちを透《すか》すのに胸を動かした、顔がさ、葭簀《よしず》を横にちらちらと霞《かすみ》を引いたかと思う、これに眩《めくるめ》くばかりになって、思わずちょっと会釈《えしゃく》をする。  向うも、伏目《ふしめ》に俯向《うつむ》いたと思うと、リンリンと貴下《あなた》、高く響いたのは電話の報知《しらせ》じゃ。  これを待っていたでございますな。  すぐに電話口へ入って、姿は隠れましたが、浅間《あさま》ゆえ、よく聞える。 (はあ、私《わたし》。あなた、余《あんま》りですわ。余《あんま》りですわ。どうして来て下さらないの。怨《うら》んでいますよ。あの、あなた、夜《よ》も寝られません。はあ、夜中に汽車のつくわけはありませんけれども、それでも今にもね、来て下さりはしないかと思って。  私の方はね、もうね、ちょいと……どんなに離れておりましても、あなたの声はね、電話でなくっても聞えます。あなたには通じますまい。  どうせ、そうですよ。それだって、こんなにお待ち申している、私のためですもの……気をかねてばかりいらっしゃらなくても宜《よろ》しいわ。些《ちっ》とは不義理、否《いえ》、父さんやお母さんに、不義理と言うこともありませんけれど、ね、私は生命《いのち》かけて、きっとですよ。今夜にも、寝ないでお待ち申しますよ。あ、あ、たんと、そんなことをお言いなさい、どうせ寝られないんだから可《よ》うございます。怨《うら》みますよ。夢にでもお目にかかりましょうねえ、否《いいえ》、待たれない、待たれない……)  お道《みち》か、お光《みつ》か、女の名前。 (……みいちゃん、さようなら、夢で逢いますよ。)――  きりきりと電話を切ったて。」 「へい、」  と思わず聞惚《ききと》れる。 「その日は帰ってから、豪《えら》い元気で、私《わたし》はそれ、涼しさやと言った句《く》の通り、縁《えん》から足をぶら下げる。客人は其処《そこ》の井戸端《いどばた》に焚《た》きます据風呂《すえぶろ》に入って、湯をつかいながら、露出《むきだ》しの裸体談話《はだかばなし》。  そっちと、こっちで、高声《たかごえ》でな。尤《もっと》も隣近所《となりきんじょ》はござらぬ。かけかまいなしで、電話の仮声《こわいろ》まじりか何かで、 (やあ、和尚《おしょう》さん、梅の青葉から、湯気《ゆげ》の中へ糸を引くのが、月影に光って見える、蜘蛛《くも》が下りた、)  と大気※[#「諂のつくり+炎」、unicode71C4]《だいきえん》じゃ。 (万歳々々《ばんざいばんざい》、今夜お忍《しのび》か。) (勿論《もちろん》、)  と答えて、頭のあたりをざぶざぶと、仰《あお》いで天に愧《は》じざる顔色《かおつき》でありました。が、日頃の行《おこな》いから[#「行《おこな》いから」は底本では「行《おこか》いから」]察して、如何《いか》に、思死《おもいじに》をすればとて、いやしくも主《ぬし》ある婦人に、そういう不料簡《ふりょうけん》を出すべき仁《じん》でないと思いました、果せる哉《かな》。  冷奴《ひややっこ》に紫蘇《しそ》の実、白瓜《しろうり》の香《こう》の物《もの》で、私《わたくし》と取膳《とりぜん》の飯を上《あが》ると、帯を緊《し》め直して、 (もう一度そこいらを。)  いや、これはと、ぎょっとしたが、垣《かき》の外へ出られた姿は、海の方へは行《ゆ》かないで、それ、その石段を。」  一面の日当りながら、蝶《ちょう》の羽《は》の動くほど、山の草に薄雲が軽く靡《なび》いて、檐《のき》から透《すか》すと、峰の方は暗かった、余り暖《あたたか》さが過ぎたから。        十九  降ろうも知れぬ。日向《ひなた》へ蛇が出ている時は、雨を持つという、来がけに二度まで見た。  で、雲が被《かぶ》って、空気が湿《しめ》った所為《せい》か、笛太鼓《ふえたいこ》の囃子《はやし》の音が山一ツ越えた彼方《かなた》と思うあたりに、蛙《かえる》が喞《すだ》くように、遠いが、手に取るばかり、しかも沈んでうつつの音楽のように聞えて来た。靄《もや》で蝋管《ろうかん》の出来た蓄音器《ちくおんき》の如く、かつ遥《はるか》に響く。  それまでも、何かそれらしい音はしたが、極めて散漫で、何の声とも纏《まと》まらない。村々の蔀《しとみ》、柱、戸障子《としょうじ》、勝手道具などが、日永《ひなが》に退屈して、のびを打ち、欠伸《あくび》をする気勢《けはい》かと思った。いまだ昼前だのに、――時々牛の鳴くのが入交《いりまじ》って――時に笑い興《きょう》ずるような人声も、動かない、静かに風に伝わるのであった。  フト耳を澄ましたが、直ぐに出家の言《ことば》になって、 「大分《だいぶ》町の方が賑《にぎわ》いますな。」 「祭礼でもありますか。」 「これは停車場《ていしゃば》近くにいらっしゃると承《うけたまわ》りましたに、つい御近所でございます。  停車場の新築|開《びら》き。」  如何《いか》にも一月《ひとつき》ばかり以前から取沙汰《とりさた》した今日は当日。規模を大きく、建直《たてなお》した落成式、停車場《ステイション》に舞台がかかる、東京から俳優《やくしゃ》が来る、村のものの茶番がある、餅《もち》を撒《ま》く、昨夜も夜通し騒いでいて、今朝《けさ》来がけの人通りも、よけて通るばかりであったに、はたと忘れていたらしい。 「まったくお話しに聞惚《ききと》れましたか、こちらが里《さと》離《はな》れて閑静な所為《せい》か、些《ちっ》とも気が附《つか》ないでおりました。実は余り騒々《そうぞう》しいので、そこを遁《に》げて参ったのです。しかし降りそうになって来ました。」  出家の額《ひたい》は仰向《あおむ》けに廂《ひさし》を潜《くぐ》って、 「ねんばり一湿《ひとしめ》りでございましょう。地雨《じあめ》にはなりますまい。何《なあに》、また、雨具もござる。芝居を御見物の思召《おぼしめし》がなくば、まあ御緩《ごゆっく》りなすって。  あの音もさ、面白可笑《おもしろおかし》く、こっちも見物に参る気でもござると、じっと落着いてはいられないほど、浮いたものでありますが、さてこう、かけかまいなしに、遠ざかっておりますと、世を一ツ隔てたように、寂しい、陰気な、妙な心地《ここち》がいたすではありませんか。」 「真箇《まったく》ですね。」 「昔、井戸を掘ると、地《じ》の下に犬《いぬ》鶏《にわとり》の鳴く音《ね》、人声、牛車《ぎゅうしゃ》の軋《きし》る音などが聞えたという話があります。それに似ておりますな。  峠から見る、霧の下だの、暗《やみ》の浪打際《なみうちぎわ》、ぼうと灯《あかり》が映《うつ》る処《ところ》だの、かように山の腹を向うへ越した地《じ》の裏などで、聞きますのは、おかしく人間業《にんげんわざ》でないようだ。夜中に聞いて、狸囃子《たぬきばやし》と言うのも至極でございます。  いや、それに、つきまして、お話の客人でありますが、」  と、茶を一口急いで飲み、さしおいて、 「さて今申した通り、夜分にこの石段を上《のぼ》って行《ゆ》かれたのでありまして。  しかしこれは情《じょう》に激して、発奮《はず》んだ仕事ではなかったのでございます。  こうやって、この庵室《あんじつ》に馴れました身には、石段はつい、通《かよ》い廊下《ろうか》を縦に通るほどな心地《ここち》でありますからで。客人は、堂へ行《ゆ》かれて、柱《はしら》板敷《いたじき》へひらひらと大きくさす月の影、海の果《はて》には入日《いりひ》の雲が焼残《やけのこ》って、ちらちら真紅《しんく》に、黄昏《たそがれ》過ぎの渾沌《こんとん》とした、水も山も唯《ただ》一面の大池の中に、その軒端《のきば》洩《も》る夕日の影と、消え残る夕焼の雲の片《きれ》と、紅蓮《ぐれん》白蓮《びゃくれん》の咲乱《さきみだ》れたような眺望《ながめ》をなさったそうな。これで御法《みのり》の船に同じい、御堂《おどう》の縁《えん》を離れさえなさらなかったら、海に溺《おぼ》れるようなことも起らなんだでございましょう。  爰《ここ》に希代《きたい》な事は――  堂の裏山の方で、頻《しき》りに、その、笛太鼓《ふえたいこ》、囃子《はやし》が聞えたと申す事――  唯今《ただいま》、それ、聞えますな。あれ、あれとは、まるで方角は違います。」  と出家は法衣《ころも》でずいと立って、廂《ひさし》から指を出して、御堂《みどう》の山を左の方《かた》へぐいと指した。立ち方の唐突《だしぬけ》なのと、急なのと、目前《めさき》を塞《ふさ》いだ墨染《すみぞめ》に、一天《いってん》する墨《すみ》を流すかと、袖《そで》は障子を包んだのである。        二十 「堂の前を左に切れると、空へ抜いた隧道《トンネル》のように、両端《りょうはし》から突出《つきで》ました巌《いわ》の間、樹立《こだち》を潜《くぐ》って、裏山へかかるであります。  両方|谷《たに》、海の方《かた》は、山が切れて、真中《まんなか》の路《みち》を汽車が通る。一方は一谷《ひとたに》落ちて、それからそれへ、山また山、次第に峰が重なって、段々|雲《くも》霧《きり》が深くなります。処々《ところどころ》、山の尾が樹の根のように集《あつま》って、広々とした青田《あおた》を抱《かか》えた処《ところ》もあり、炭焼小屋を包んだ処もございます。  其処《そこ》で、この山伝いの路は、崕《がけ》の上を高い堤防《つつみ》を行《ゆ》く形、時々、島や白帆《しらほ》の見晴しへ出ますばかり、あとは生繁《おいしげ》って真暗《まっくら》で、今時は、さまでにもありませぬが、草が繁りますと、分けずには通られません。  谷には鶯《うぐいす》、峰には目白《めじろ》四十雀《しじゅうから》の囀《さえず》っている処《ところ》もあり、紺青《こんじょう》の巌《いわ》の根に、春は菫《すみれ》、秋は竜胆《りんどう》の咲く処《ところ》。山清水《やましみず》がしとしとと湧《わ》く径《こみち》が薬研《やげん》の底のようで、両側の篠笹《しのざさ》を跨《また》いで通るなど、ものの小半道《こはんみち》踏分《ふみわ》けて参りますと、其処《そこ》までが一峰《ひとみね》で。それから崕《がけ》になって、郡《ぐん》が違い、海の趣《おもむき》もかわるのでありますが、その崕《がけ》の上に、たとえて申さば、この御堂《みどう》と背中合わせに、山の尾へ凭《よ》っかかって、かれこれ大仏《だいぶつ》ぐらいな、石地蔵《いしじぞう》が無手《むず》と胡坐《あぐら》してござります。それがさ、石地蔵と申し伝えるばかり、よほどのあら刻みで、まず坊主形《ぼうずなり》の自然石《じねんせき》と言うても宜《よろ》しい。妙に御顔《おかお》の尖がった処が、拝むと凄《すご》うござってな。  堂は形だけ残っておりますけれども、勿体《もったい》ないほど大破《たいは》いたして、密《そっ》と参っても床《ゆか》なぞずぶずぶと踏抜《ふみぬ》きますわ。屋根も柱も蜘蛛《くも》の巣のように狼藉《ろうぜき》として、これはまた境内《けいだい》へ足の入場《いれば》もなく、崕《がけ》へかけて倒れてな、でも建物があった跡じゃ、見霽《みはら》しの広場になっておりますから、これから山越《やまごし》をなさる方《かた》が、うっかり其処《そこ》へござって、唐突《だしぬけ》の山仏《やまほとけ》に胆《きも》を潰《つぶ》すと申します。  其処《そこ》を山続きの留《とま》りにして、向うへ降りる路《みち》は、またこの石段のようなものではありません。わずかの間も九十九折《つづらおり》の坂道、嶮《けわし》い上に、※[#「(來+攵)/心」、unicode6197]《なまじっ》か石を入れたあとのあるだけに、爪立《つまだ》って飛々《とびとび》に這《は》い下《お》りなければなりませんが、この坂の両方に、五百体千体と申す数ではない。それはそれは数え切れぬくらい、いずれも一尺、一尺五寸、御丈《おんたけ》三尺というのはない、小さな石仏《いしぼとけ》がすくすく並んで、最も長い年月《ねんげつ》、路傍《みちばた》へ転げたのも、倒れたのもあったでありましょうが、さすがに跨《また》ぐものはないと見えます。もたれなりにも櫛《くし》の歯のように揃《そろ》ってあります。  これについて、何かいわれのございましたことか、一々《いちいち》女の名と、亥年《いどし》、午年《うまどし》、幾歳、幾歳、年齢とが彫《ほ》りつけてございましてな、何時《いつ》の世にか、諸国の婦人《おんな》たちが、挙《こぞ》って、心願《しんがん》を籠《こ》めたものでございましょう。ところで、雨露《あめつゆ》に黒髪《くろかみ》は霜《しも》と消え、袖《そで》裾《すそ》も苔《こけ》と変って、影ばかり残ったが、お面《かお》の細く尖《とが》った処《ところ》、以前は女体《にょたい》であったろうなどという、いや女体の地蔵というはありませんが、さてそう聞くと、なお気味が悪いではございませんか。  ええ、つかぬことを申したようでありますが、客人の話について、些《ち》と考えました事がござる。客人は、それ、その山路《やまみち》を行《ゆ》かれたので――この観音《かんおん》の御堂《みどう》を離れて、」 「なるほど、その何んとも知れない、石像の処へ、」  と胸を伏せて顔を見る。 「いやいや、其処《そこ》までではありません。唯《ただ》その山路へ、堂の左の、巌間《いわま》を抜けて出たものでございます。  トいうのが、手に取るように、囃《はやし》の音が聞えたからで。  直《じ》きその谷間《たにあい》の村あたりで、騒いでいるように、トントンと山腹へ響いたと申すのでありますから、ちょっと裏山へ廻りさえすれば、足許に瞰下《みお》ろされますような勘定《かんじょう》であったので。客人は、高い処《ところ》から見物をなさる気でござった。  入り口《くち》はまだ月のたよりがございます。樹の下を、草を分けて参りますと、処々《ところどころ》窓のように山が切れて、其処《そこ》から、松葉掻《まつばかき》、枝拾い、じねんじょ穿《ほり》が谷へさして通行する、下の村へ続いた路《みち》のある処が、あっちこっちにいくらもございます。  それへ出ると、何処《どこ》でも広々と見えますので、最初左の浜庇《はまびさし》、今度は右の茅《かや》の屋根と、二、三|箇処《がしょ》、その切目《きれめ》へ出て、覗《のぞ》いたが、何処《どこ》にも、祭礼《まつり》らしい処はない。海は明《あかる》く、谷は煙《けぶ》って。」        二十一 「けれども、その囃子《はやし》の音は、草《くさ》一叢《ひとむら》、樹立《こだち》一畝《ひとうね》出さえすれば、直《じ》き見えそうに聞えますので。二足《ふたあし》が三足《みあし》、五足《いつあし》が十足《とあし》になって段々深く入るほど――此処《ここ》まで来たのに見ないで帰るも残惜《のこりおし》い気もする上に、何んだか、旧《もと》へ帰るより、前へ出る方が路《みち》も明《あかる》いかと思われて、些《ち》と急足《いそぎあし》になると、路も大分《だいぶん》上《のぼ》りになって、ぐいと伸上《のびあが》るように、思い切って真暗《まっくら》な中を、草を※[#「てへん+劣」、unicode6318]《むし》って、身を退《ひ》いて高い処《ところ》へ。ぼんやり薄明るく、地ならしがしてあって、心持《こころもち》、墓地の縄張《なわばり》の中ででもあるような、平《たいら》な丘の上へ出ると、月は曇ってしまったか、それとも海へ落ちたかという、一方は今来た路《みち》で向うは崕《がけ》、谷か、それとも浜辺かは、判然せぬが、底《そこ》一面《いちめん》に靄《もや》がかかって、その靄に、ぼうと遠方の火事のような色が映《うつ》っていて、篝《かがり》でも焼《た》いているかと、底《そこ》澄《す》んで赤く見える、その辺《あたり》に、太鼓《たいこ》が聞える、笛も吹く、ワアという人声がする。  如何《いか》にも賑《にぎや》かそうだが、さて何処《どこ》とも分らぬ。客人は、その朦朧《もうろう》とした頂《いただき》に立って、境《さかい》は接しても、美濃《みの》近江《おうみ》、人情も風俗も皆違う寝物語の里の祭礼《まつり》を、此処《ここ》で見るかと思われた、と申します。  その上、宵宮《よみや》にしては些《ち》と賑《にぎや》か過ぎる、大方|本祭《ほんまつり》の夜《よ》? それで人の出盛《でさか》りが通り過ぎた、よほど夜更《よふけ》らしい景色に視《なが》めて、しばらく茫然《ぼうぜん》としてござったそうな。  ト何んとなく、心《こころ》寂《さび》しい。路《みち》もよほど歩行《ある》いたような気がするので、うっとり草臥《くたび》れて、もう帰ろうかと思う時、その火気《かき》を包んだ靄《もや》が、こう風にでも動くかと覚えて、谷底から上へ、裾《すそ》あがりに次第に色が濃《こ》うなって、向うの山かけて映る工合《ぐあい》が直《じ》き目の前で燃している景色――最《もっと》も靄《もや》に包まれながら――  そこで、何か見極《みきわ》めたい気もして、その平地《ひらち》を真直《まっすぐ》に行《ゆ》くと、まず、それ、山の腹が覗《のぞ》かれましたわ。  これはしたり! 祭礼《まつり》は谷間《たにま》の里からかけて、此処《ここ》がそのとまりらしい。見た処《ところ》で、薄くなって段々に下へ灯影《ひかげ》が濃くなって次第に賑《にぎや》かになっています。  やはり同一《おんなじ》ような平《たいら》な土で、客人のござる丘と、向うの丘との中に箕《み》の形になった場所。  爪尖《つまさき》も辷《すべ》らず、静《しずか》に安々《やすやす》と下りられた。  ところが、箕《み》の形の、一方はそれ祭礼《まつり》に続く谷の路《みち》でございましょう。その谷の方に寄った畳なら八畳ばかり、油が広く染《にじ》んだ体《てい》に、草がすっぺりと禿《は》げました。」  といいかけて、出家は瀬戸物《せともの》の火鉢を、縁《えん》の方へ少しずらして、俯向《うつむ》いて手で畳を仕切った。 「これだけな、赤地《あかじ》の出た上へ、何かこうぼんやり踞《うずくま》ったものがある。」  ト足を崩してとかくして膝に手を置いた。  思わず、外《と》の方《かた》を見た散策子は、雲のやや軒端《のきば》に近く迫るのを知った。 「手を上げて招いたと言います――ゆったりと――行《ゆ》くともなしに前へ出て、それでも間《あいだ》二、三|間《げん》隔《へだた》って立停《たちど》まって、見ると、その踞《うずくま》ったものは、顔も上げないで俯向《うつむ》いたまま、股引《ももひき》ようのものを穿《は》いている、草色《くさいろ》の太い胡坐《あぐら》かいた膝の脇に、差置《さしお》いた、拍子木《ひょうしぎ》を取って、カチカチと鳴らしたそうで、その音が何者か歯を噛合《かみあ》わせるように響いたと言います。  そうすると、」 「はあ、はあ、」 「薄汚れた帆木綿《ほもめん》めいた破穴《やれあな》だらけの幕が開《あ》いたて、」 「幕が、」 「さよう。向う山の腹へ引いてあったが、やはり靄《もや》に見えていたので、そのものの手に、綱が引いてあったと見えます、踞《うずくま》ったままで立ちもせんので。  窪《くぼ》んだ浅い横穴じゃ。大きかったといいますよ。正面に幅一|間《けん》ばかり、尤《もっと》も、この辺にはちょいちょいそういうのを見懸けます。背戸《せど》に近い百姓屋などは、漬物桶《つけものおけ》を置いたり、青物を活《い》けて重宝《ちょうほう》がる。で、幕を開けたからにはそれが舞台で。」        二十二 「なるほど、そう思えば、舞台の前に、木の葉がばらばらと散《ちら》ばった中へ交《まじ》って、投銭《なげせん》が飛んでいたらしく見えたそうでございます。  幕が開《あ》いた――と、まあ、言う体《てい》でありますが、さて唯《ただ》浅い、扁《ひらった》い、窪《くぼ》みだけで。何んの飾《かざり》つけも、道具だてもあるのではござらぬ。何か、身体《からだ》もぞくぞくして、余り見ていたくもなかったそうだが、自分を見懸けて、はじめたものを、他に誰一人いるではなし、今更《いまさら》帰るわけにもなりませんような羽目になったとか言って、懐中《かいちゅう》の紙入《かみいれ》に手を懸けながら、茫乎《ぼんやり》見ていたと申します。  また、陰気な、湿《しめ》っぽい音《おん》で、コツコツと拍子木《ひょうしぎ》を打違《ぶっちが》える。  やはりそのものの手から、ずうと糸が繋《つな》がっていたものらしい。舞台の左右、山の腹へ斜めにかかった、一幅《ひとはば》の白い靄《もや》が同じく幕でございました。むらむらと両方から舞台際《ぶたいぎわ》へ引寄せられると、煙が渦《うずま》くように畳まれたと言います。  不細工ながら、窓のように、箱のように、黒い横穴が小さく一ツずつ三十五十と一側並《ひとかわなら》べに仕切ってあって、その中に、ずらりと婦人《おんな》が並んでいました。  坐ったのもあり、立ったのもあり、片膝《かたひざ》立てたじだらくな姿もある。緋《ひ》の長襦袢《ながじゅばん》ばかりのもある。頬のあたりに血のたれているのもある。縛られているのもある、一目《ひとめ》見たが、それだけで、遠くの方は、小さくなって、幽《かすか》になって、唯《ただ》顔ばかり谷間《たにま》に白百合《しろゆり》の咲いたよう。  慄然《ぞっ》として、遁《に》げもならない処《ところ》へ、またコンコンと拍子木《ひょうしぎ》が鳴る。  すると貴下《あなた》、谷の方へ続いた、その何番目かの仕切の中から、ふらりと外へ出て、一人、小さな婦人《おんな》の姿が、音もなく歩行《ある》いて来て、やがてその舞台へ上《あが》ったでございますが、其処《そこ》へ来ると、並《なみ》の大きさの、しかも、すらりとした脊丈《せたけ》になって、しょんぼりした肩の処へ、こう、頤《おとがい》をつけて、熟《じっ》と客人の方を見向いた、その美しさ!  正《まさ》しく玉脇の御新姐《ごしんぞ》で。」        二十三 「寝衣《ねまき》にぐるぐると扱帯《しごき》を巻いて、霜《しも》のような跣足《はだし》、そのまま向うむきに、舞台の上へ、崩折《くずお》れたように、ト膝を曲げる。  カンと木を入れます。  釘《くぎ》づけのようになって立窘《たちすく》んだ客人の背後《うしろ》から、背中を摺《す》って、ずッと出たものがある。  黒い影で。  見物が他《た》にもいたかと思う、とそうではない。その影が、よろよろと舞台へ出て、御新姐《ごしんぞ》と背中合わせにぴったり坐った処《ところ》で、こちらを向いたでございましょう、顔を見ると自分です。」 「ええ!」 「それが客人御自分なのでありました。  で、私《わたくし》へお話に、 (真個《ほんとう》なら、其処《そこ》で死ななければならんのでした、)  と言って歎息《たんそく》して、真蒼《まっさお》になりましたっけ。  どうするか、見ていたかったそうです。勿論《もちろん》、肉は躍《おど》り、血は湧《わ》いてな。  しばらくすると、その自分が、やや身体《からだ》を捻《ね》じ向けて、惚々《ほれぼれ》と御新姐《ごしんぞ》の後姿を見入ったそうで、指の尖《さき》で、薄色の寝衣《ねまき》の上へ、こう山形に引いて、下へ一ツ、△を書いたでございますな、三角を。  見ている胸はヒヤヒヤとして冷汗がびっしょりになる。  御新姐《ごしんぞ》は唯《ただ》首垂《うなだ》れているばかり。  今度は四角、□、を書きました。  その男、即《すなわち》客人御自分が。  御新姐《ごしんぞ》の膝にかけた指の尖《さき》が、わなわなと震えました……とな。  三度目に、○、円《まる》いものを書いて、線の端《はし》がまとまる時、颯《さっ》と地を払って空へ抉《えぐ》るような風が吹くと、谷底の灯《ひ》の影がすっきり冴《さ》えて、鮮《あざや》かに薄紅梅《うすこうばい》。浜か、海の色か、と見る耳許《みみもと》へ、ちゃらちゃらと鳴ったのは、投げ銭と木《こ》の葉の摺《す》れ合う音で、くるくると廻った。  気がつくと、四、五人、山のように背後《うしろ》から押被《おっかぶ》さって、何時《いつ》の間《ま》にか他《た》に見物が出来たて。  爾時《そのとき》、御新姐《ごしんぞ》の顔の色は、こぼれかかった艶《つや》やかなおくれ毛を透《す》いて、一入《ひとしお》美しくなったと思うと、あのその口許《くちもと》で莞爾《にっこり》として、うしろざまにたよたよと、男の足に背《せなか》をもたせて、膝を枕にすると、黒髪が、ずるずると仰向《あおむ》いて、真白《まっしろ》な胸があらわれた。その重みで男も倒れた、舞台がぐんぐんずり下《さが》って、はッと思うと旧《もと》の土。  峰から谷底へかけて哄《どっ》と声がする。そこから夢中で駈け戻って、蚊帳《かや》に寝た私《わたくし》に縋《すが》りついて、 (水を下さい。)  と言うて起された、が、身体中《からだじゅう》疵《きず》だらけで、夜露にずぶ濡《ぬれ》であります。  それから暁《あかつき》かけて、一切の懺悔話《ざんげばなし》。  翌日《あくるひ》は一日《いちにち》寝てござった。午《ひる》すぎに女中が二人ついて、この御堂《みどう》へ参詣なさった御新姐《ごしんぞ》の姿を見て、私は慌《あわ》てて、客人に知らさぬよう、暑いのに、貴下《あなた》、この障子を閉切《しめき》ったでございますよ。  以来、あの柱に、うたゝ寐《ね》の歌がありますので。  客人はあと二、三日、石の唐櫃《からびつ》に籠《こも》ったように、我《われ》と我を、手足も縛るばかり、謹《つつし》んで引籠《ひきこも》ってござったし、私《わたくし》もまた油断なく見張っていたでございますが、貴下《あなた》、聊《いささ》か目を離しました僅《わずか》の隙《ひま》に、何処《どこ》か姿が見えなくなって、木樵《きこり》が来て、点燈頃《ひともしごろ》、 (私《わし》、今、来がけに、彼処《あすこ》さ、蛇《じゃ》の矢倉《やぐら》で見かけたよ、)  と知らせました。  客人はまたその晩のような芝居が見たくなったのでございましょう。  死骸《しがい》は海で見つかりました。  蛇《じゃ》の矢倉《やぐら》と言うのは、この裏山の二ツ目の裾《すそ》に、水のたまった、むかしからある横穴で、わッというと、おう――と底知れず奥の方へ十里も広がって響きます。水は海まで続いていると申伝《もうしつた》えるでありますが、如何《いかが》なものでございますかな。」  雨が二階家《にかいや》の方からかかって来た。音ばかりして草も濡らさず、裾があって、路《みち》を通《かよ》うようである。美人《たおやめ》の霊《れい》が誘《さそ》われたろう。雲の黒髪《くろかみ》、桃色衣《ももいろぎぬ》、菜種《なたね》の上を蝶《ちょう》を連れて、庭に来て、陽炎《かげろう》と並んで立って、しめやかに窓を覗《のぞ》いた。 底本:「春昼・春昼後刻」岩波文庫    1987(昭和62)年4月16日第1刷発行    1999(平成11)年7月5日第19刷発行 底本の親本:「鏡花全集 第十卷」岩波書店    1940(昭和15)年5月 初出:「新小説」    1906(明治39)年11月 ※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。 入力:小林繁雄 校正:平野彩子、土屋隆 2006年7月18日作成 青空文庫作成ファイル: 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