洞窟を越えて



青空を高く、白い海鳥たちが東へ翔けていくのを、ソフィーは悲しい思いで見つめていた。

ソフィーは、ここから東に1マイルほど沖合の小さな島で生まれ育って、
5年前、大きな町のあるこの島へ嫁いできたのだったが、
公務員の気難しい夫とは、しだいに心が離れてしまい、子供もいなかったので、
もう別れて実家へ帰ろうかとも思った。

しかし、実家で一人暮らしをしていた母親は昨年亡くなり、営んでいた食料品店も、
今は閉じてしまっていた。

その朝、夫を送り出すと、ソフィーは、同じ町に住む親戚のお婆さんに相談に行った。
愚痴を聞いてもらったものの、世間的に見れば夫は有能な公務員だったから、
お婆さんも、別れるよりも夫と心を通わす努力をするほうが良いと言った。

何も言い返せず、うつむいて顔を手で覆って、すすり泣くソフィーにお婆さんは、

「ソフィー、自暴自棄になってはだめよ。でもどうしても耐えられなくなったら、
島の東の断崖にある洞窟に行ってみてごらん。そこは精霊の通り道だから。」

ソフィーはお婆さんが何を言っているのか判らなかったけれども、
お婆さんの家を出てから、とぼとぼと家に帰ってきて悄然としていたのだったが、

「精霊の通り道?何のこと?」

ソフィーは急に立ち上がり、布のバッグにパンや水筒、マッチなどを詰め込み、
納屋から、手提げランプを持ち出してきて、家を飛び出した。

ソフィーは海沿いの道を歩き続け、いつしか島の東端にある、断崖に来ていた。
そこで海を見つめ、海鳥をしばらく眺めていたのだった。

断崖から海へ身を投げれば、楽になるのだろうか?いや、信仰上それは出来なかった。

「洞窟。。確か洞窟って言ったわよね。」

ぶつぶつ言いながら、断崖の道をゆっくりと廻っていくと、道から10フィートくらい高い上の崖に、
何やら防空壕の跡のような入口を発見した。
ソフィーは苦労して崖をよじ登り、入口まで辿り着いた。

そこは洞窟の入口のようだったが、木の柵で塞がれており、鍵がかかっていた。
ソフィーが柵をガタガタ揺すると、なんと鍵のかかった木は腐っていて折れてしまった。

ふと、ソフィーは我に返って、「私ったら、何をやっているのかしら。。」
しかし、どうにも引き返せない強い衝動にかられて、柵をギイギイと開けてしまった。

中に入ってから、柵を慎重に閉めて、手提げランプに灯をつけ、暗い洞窟へ入って行った。
確かに前の大戦中に、防空壕として使われたような跡もあったのだが、

さらに先へ進むと、そこはもう鍾乳洞そのものだった。、
天井には鍾乳石が無数に垂れ下がり、ソフィーは頭に当たらないように気を付けて進んだ。

時々首筋へ冷たい滴が落ちてきて、何度も首をすくめ、しゃがみこんだりした。
しだいに道は滑りやすくなり、緩やかに下っている。
そうしてしばらく進むと、何か水の音が聞こえてきた。

ランプをかざすと、そこは洞窟の奥から流れる水で出来た、浅い川のようだった。
ソフィーは決心して、スカートをまくって、ジャブジャブと川へ入っていった。
そこを抜けると今度は、緩やかな登りとなって、何度も滑って転びながら、
何とか登っていくと、闇の先に、ポツンと光が見えた。

ソフィーは、「ああ、あれはきっと出口だわ。」と安堵したとたん、猛烈なめまいに襲われた。

ふと、ソフィーが目を覚まし、はっと起き上がってランプを見ると、
油はもう少ししか残っていなかった。、
ソフィーはランプの灯を消して、光に向かって四つん這いになりながら、必死に出口を目指した。

やがて光は大きく、明るくなって、やっとのことで出口に辿り着いて、
ソフィーが出口をふさぐ草木を除けながら、外へ出てみると、
そこは、なんとソフィーが生まれ育った、隣の島の山のふもとだった。

ソフィーは叫んだ。「何てこと!海の下をくぐって来たのね。」
そこは懐かしい風景が続いていて、ふもとの道へ降りたソフィーは駆け出した。

自分が生まれた実家の家は、もう誰も住んでいないはずだったが、
実家の近くまで来てみると、二人の女がこちらを見て驚いている。

「ソフィー!どうしたんだい、その恰好は!泥だらけじゃないか。」
そう叫んだのは、昨年亡くなったはずの、ソフィーの母親だった。

その横に立っていたのは、ソフィーの叔母のステラだった。
ステラはソフィーを見てひどく驚き、駆け寄って来た。

ソフィーは、震えた声で叫んだ。

「お母さん、ステラ叔母さん!。。じゃぁ私は死んだの?」

そう言うと、脚の力が抜けて崩れ落ちた。
ステラはかろうじてソフィーを抱え、家へ担ぎ込んだ。そして、

「姉さん、大丈夫よ。ソフィーは山菜を取りに行ってたようだから。」と妙な言い訳をして、

ソフィーをまず椅子に座らせ、水を飲ませると、汚れた服を脱がさせ、
シャワーを浴びさせて、さっぱりとした服に着替えさせた。

ぼーっとステラの言うままにされていたソフィーが、
「ステラ叔母さん、ここは、天国なの?」

ステラは、部屋のドアを少し開けてソフィーの母親が店番をしているのを確かめてから、
「ソフィー、良く聞きなさい。あなた、洞窟を通って来たわね?」

ソフィーが頷くと、「ソフィー、ここはね、天国じゃないの。6年前の世界なのよ。」

「6年前?どういうこと?だってお母さんは昨年。。」と言いかけると、

ステラは、一瞬狼狽したようだったが、気を取り直して、

「信じられないでしょうけど、あなたのお母さんは今、生きているのよ。
それに、5年前にあなたと同じ島からいなくなった私が、ここにいるでしょう?
私もあの洞窟を通って、この島に辿り着いたら、そこは6年前の世界だったのよ!」

ステラ叔母さんは、ソフィーと同じように、生まれた島から隣の島へ嫁いでいた。
しかし、5年前に急に行方不明となり、海に流されたに違いないという噂だったのだ。

ソフィーは混乱してしまい、頭を抱えた。
「わからないわ。。」

ステラは、ソフィーの部屋に連れていってベッドに寝かせた。
ソフィーは疲れ果てて、ぐっすりと眠り、

翌朝、起きだして母親に抱きつくと、涙を流した。

「ソフィーったら、どうしちゃったんだい?昨日からおかしいよ。」

ソフィーは朝食の用意をしているステラおばさんをチラっと見てから、
「ごめんなさい。何でもないの。」

朝食後、ソフィーの部屋でステラおばさんと話し込んでみると、

隣の島の洞窟を通って、この島へ出ると、そこは時間が変わっていて、
6年前の世界に入り込んでしまうというのだ。

ソフィーは最も気になることを聞いた。

「昨日、私が来るまでこの家にいた、私ソフィー自身はどうしていたの?」

「それがね、ソフィーがいないって姉さんが騒いでいたところだったのよ。」

ソフィーは遠い目をして、髪をいじって考えていたが、
「私がこの島に現れたとたん、ここにいたはずのソフィーがいなくなった。。」

そのとき、ソフィーが突然叫んだ。
「テオ!そうよ、テオはどうしたの?」

「テオ?石工のテオかい?今日も普通に働いているよ。」

ソフィーは努めて冷静になろうと自分を落ち着かせた。

実はテオはソフィーの幼なじみで、大好きだったのだが、
仕事中の事故で亡くなってしまい、傷心のソフィーは翌年、
両親の勧めるまま、良く知らない隣の島へ嫁いだのだった。

ソフィーは動悸が早くなって、「大丈夫、落ち着いて、落ち着かなきゃ。。」

「ステラ叔母さん、今日の暦は何月何日?」

そうして、紙に書きだして良く考えてみる。

「いけない、テオは来月事故で亡くなってしまうわ。」

ソフィーは、すぐにでもテオに会いに行きたかったが、
そんな自分を抑えて、何事もなかったように食料品店を手伝った。
この世界をなるべく乱さないように気を付けていたのである。

テオは何度か店に買い物に来たけれども、ソフィーは努めて自然にふるまった。
そうして、テオが亡くなる、という日がついにやってきた。
ソフィーは一睡も出来ずに、どうしたらテオを救えるかを考えていた。

朝、ソフィーはテオの働く現場へ行って、様子を伺うと、
テオは高く組まれた足場の上にいて作業をしていた。

ソフィーは、はらはらしながらも冷静を装って、現場監督の親方のところへ行くと

「やぁ、ソフィーじゃないか。どうしたんだい?」

「テオに用事があって、ちょっと。。」と言うと

親方は、「おーい、テオ!、ちょっと降りてこい。」

テオは素直に、「はーい。」と答えて親方のところへ降りてきた。

その時である。

急に激しい突風が吹いて、高く組まれた足場がテオの後ろで崩れ落ちた。
みんなは、あっと驚いて、立ちすくんだ。


しばらくして、ソフィーとテオは結婚した。
ソフィーは、「これこそが本来あるべき姿なんだわ。」と自分に言い聞かせ、
隣の島のことは考えないようにして暮らした。

やがて娘が生まれ、ヘレナと名付けられた。
夫のテオは優しい人で、平凡で貧しい生活だったけれど、ソフィーは幸せだった。

ヘレナが14歳になったある朝、ソフィーはヘレナが家にいないことに気付いて、
あちこち探したのだが、どこにも姿が見えない。

ソフィーはとてつもない、ある不安が湧き上がってきた。

そうして、外へ飛び出し、山のふもとの洞窟へ向かうと、

道の途中で、泥だらけになったヘレナがこちらに歩いて来たのである。
ソフィーの姿に気付くと、ヘレナは叫んだ。

「ああっ!お母さん。。じゃぁ、ここは天国なの?」