隻手音声考



隻手音声(せきしゅおんじょう)とは、
江戸時代の禅僧、白隠の公案である。

「両掌相打って音声あり、隻手に何の音声かある」

両手を打ち合わせて拍手をすると音がする。
では、隻手(片手)の音はいかに?答えよ。

。。そんなことを聞かれても
「禅師、そりゃ無茶でっせー」と禅堂の中心で叫ぶしかない。

禅僧はともかく、一般庶民は

「息子のコータに人参を食べさせるにはどうするか?」とか
「現場のコンクリート打ちの納期が間にあわないけどどうしよう?」とか
「ゼータ関数の自明でない零点分布は実部が直線上に並ぶか?」とか

いろいろ考えることがあって忙しいので
片手をにらんで公案の答えを考える暇はないのである。

。。気をとりなおして。

そもそも「拍手」とは何だろうか?
左右の手を勢いをつけて合わせ叩くと発する音。
それが「拍手」である。

拍手をする動機とは何か?
古来、神社に参拝するときは必ず拍手をする。
これは祭られた神に対して私がここに参りましたという
合図を神に送り届けるために拍手をするのである。

また、演奏会やスポーツ会場、表彰式など
演じてくれた相手への賞賛、感謝、共感などを
自分の気持ちの表現として相手へ届けるために拍手をする。

必ず動機があって、「拍手」をする能動的な行為なのだ。
一人でむやみにただ拍手するのは、公案を思案中の禅僧くらいだろう。

拍手の音を聞くとは、拍手をした相手の気持ちを受け取ること
自分の持つ何に対して、拍手を受けたのかを認識することである。



その若い禅僧は悩んだあげく、禅堂の中心で突如ひらめいた!

急ぎ庭にいた禅師のもとへかけつけると叫んだ。

「両掌相打った音声とは、相対する分別の音声です。
隻手の音声とは「無」であり、六根を超えて
「無」を聴くことが宇宙へ合一できる道です。」

禅師は庭の石に座っていたが、禅僧を見てにやりと笑った。

すると、その先に客人が池の鯉を眺めているのが見えた。

あわてた禅僧は、非礼を詫びて縁側でかしこまった。

客の老人は、着物を着て杖をついていたのだが
振り向いて、ニコニコして言った。

「おお、お若い方、無とか宇宙とか勇ましくて
うらやましいくらいだのう。

わしは脳梗塞をやってから、左手が動かんのだ。
宇宙のことは良くわからんが、その真理で
隻手の音声が聴こえるなら、この手を動かせるかね?」



Sさんは工場で、仕事中の事故で左手を失った。
今、大学と連携してロボット義手を試している。

残った腕の上部にセンサーをつけて、微弱な筋電位を拾い
ロボット義手の手や指を自分の意図した通りに
動かそうとしている。

自分の思うとおりにコップの水を飲むことができる。
これが何と言う喜びであるか、改めて感激するのである。



有名なピアニストのTさんは、ある演奏会の最後の時、
突然脳梗塞に襲われた。

一命をとりとめたものの、大事な右手が動かない。

絶望とリハビリの果てに出会ったのは
「左手のための」ピアノ演奏曲の楽譜。

それから、左手との対話が、苦闘の日々が始まった。

ある日、リサイタルの壇上にTさんの姿はあった。
スポットライトに浮かび上がるピアノとTさん。

左手のために作られた曲たちを
シンプルながら情感をこめて弾かれる美しい響き。

やがて、弾き終えたTさんに聴こえてきたのは

温かな、そして次第に大きくなる、万雷の拍手だった。