東京二期会「ばらの騎士」
演出や舞台に左右されず、単純に音楽と物語のクライマックスによって、どうしても泣いてしまう箇所がある。例えば「魔笛」のパパパの始まる瞬間とか、「蝶々夫人」で自刃寸前に子供を飛び出させる瞬間とか。とりわけ大好きなシーンというわけではない。もちろん好きなシーンであるには違いないのだが、全部のオペラをみればもっと好きなシーンは他にたくさんある。そういうのではなくて、どうしても泣いてしまうのだ。もっと率直に言えば、作曲者の思わくどおりに泣かされてしまうのだ。そういう箇所のひとつが、「ばらの騎士」の最後の三重唱でマルシャリンが「私にも分からないわ」という瞬間である。よっぽどひどい演奏でないかぎり、まずまちがいなく涙がポロポロ落ちてくる。生の舞台でなく、ビデオやCDでも泣いてしまう。通勤電車の中でヘッドホンで聴いていても涙を流してしまう。あるいは音楽を聴いていなくても、想像するだけでも泣いてしまう。実際、たまに電車の中でボーッとこういったシーンのことを考えていると、知らないうちに涙が浮かんできて大いに困ることがある。
今回のクレーマー演出の舞台は、伝統的な「ばらの騎士」の舞台からはかけ離れた、よく言えば演奏する側にも聴く側にもあった「ばら」の固定観念をを払拭する、おもしろい舞台であった。日本ではそんなによく舞台で観られる作品ではないので、客席の反応が気になるところであるが、私が観た日は、概ね受け入れられていたように思う。
まず全幕通して竹林に囲まれた舞台は、その真意は分かりかねるが、見た目だけでも豪華絢爛とはまた違った美しさがあって、「ばらの騎士」との違和感はない。(ただ音響的にいい装置であるのかな、という疑問は持った。)
舞台装置よりも人物の把え方が、十分に現代の視点で飽きさせない。特にオックス男爵とゾフィーに現代人と等身大の俗っぽさがあって、このうえもなく好感のもてる動きをしていた。鹿野由之の扮するオックスは演技や歌だけでなく姿も良くて、リュックを背負った雰囲気は田舎からやってきた品知らずのおっさんそのままである。ゾフィーは、オリジナルでもおとなしくはないのだが、この舞台ではオクタヴィアン以上に気の強い積極的な娘になっていて、全然飾り気のないところが好ましい。
最後のシーンはこの演出ですぐに感動できるかどうか。3人の女声陣は竹林の中で回転する人形と化する。そして小姓が人形の位置と格好を整えて幕切れとなる。確かに、妙に音楽の雰囲気と合っていて、後に尾を引くうっとりする優美さがある。しかし、美しさの奥の意味を考え込んでいると、頭の中が感動一辺倒でなくなるのも事実。押し寄せてくる美しさと、「これは何?」という思考。
ただ、私は「ばら」の最後は、演出や舞台に左右されずにとにかく泣いてしまうので、いろいろ頭の中が混乱しながらも、気が付いたときには口元が涙でしょっぱくなっていた。
(2003年7月21日 東京文化会館)
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