新国立劇場「トスカ」

 とりあえずレイフェルクスのスカルピアがどんなものか気になった。新国立劇場の「トスカ」は舞台と演出が感心するほど正統派なので、再演でも何度も行きたくなるのだけど、それでも指揮者やキャストがそそられなければ、時間と財布との相談を要する。しかし、レイフェルクスのスカルピアとなれば、どういう舞台になるのか、それだけで指揮者や演出や他のキャストがどんなものであっても行きたくなる。普段、演目や指揮者、演出を考えながら公演を選んでいる私も、時にはキャスティングが最大の動機となって公演に出かけたりすることもあるのだと、自分で気がついた。

 レイフェルクスのスカルピアがぴったりはまるから気になるのではない。どう考えても、私の頭の中ではぴったりはまらないから気になるのである。悪役の雰囲気がしないのに、スカルピアなんてやっていいのだろうか。海外の公演では十分にやっているのかもしれないが、実際に観たわけでもないので、様子がつかめない。確かにイアーゴのイメージを知的な悪役に一新してしまった人だし、その役でならヴィデオでも舞台でも観ているので、まだ分かるのだが、スカルピアとなれば欲情もあらわにした悪役である。知的なイアーゴはあり得ても、知的なスカルピアはあり得ない。以上が公演に出かけた動機である。

 舞台と演出は周知である。まずコルステンの指揮は、「トスカ」のおもしろみを十分に引き出していて、オケも応えていた。これでキャスト以外の条件は整った。まずエリザベス・ホワイトハウスのトスカは、正直なところそれほど期待もしていなかったのだが、実際に舞台で観るとなかなか合っていた。私の感じる限り、今まで舞台で観てきたトスカの中でもとりわけトスカっぽい容貌と雰囲気が出ている。一方、カール・タナーのカヴァラドッシは、悪くはないが、今まで観てきたカヴァラドッシとそう変わるもではなかった。さてレイフェルクスのスカルピアは、やっぱり違和感がある。しかしこの違和感は結構いい。腹黒くてカネも女も地位も欲望していて顔も怖い悪役ではなく、格好いい悪役になっている。いいダンディだ。これじゃあ、カヴァラドッシよりもはるかにスマートな雰囲気である。トスカもこっちの方がいいんじゃないか。まあ、格好いい悪役だから、トスカが気を許しても一時の楽しみで終わってしまうのだろうけど。そういう男はけなげな女に刺し殺されるのが似合っている。レイフェルクスとホワイトハウスの殺戮シーンはかなり迫ってくるもがあった。

 私はオペラビギナーの頃、「トスカ」を政治劇としてしか観ていなかったが、最近ようやく政治は緊迫した背景として観れるようになってきたようだ。

(2003年11月9日 新国立劇場)

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