東京室内歌劇場「卒塔婆小町」「女の平和」

 石桁真礼生の「卒塔婆小町」とシューベルトの「女の平和」の二本立て。

 「卒塔婆小町」というオペラは、関西歌劇団で何度か上演されていたので、実際には観ていないし内容も知らないのだが、名前だけは以前からよく聞いていた。しかし、その古風さを連想させるタイトルからしても、なんだか私の感覚としては足を運ぼうという気には今までなれなかった。ところが、今回接してみると、そんな思い込みは誤りであったことに、恥ずかしながら気付いた。1956年初演というから半世紀も前の作品であるのに、その中味は全く斬新で、現代作品として紹介されてもおかしくない。

 原作は三島由紀夫の近代能楽集。夜の公園で99歳の老婆に出会った若い詩人が、そのまま老婆が小町と呼ばれていた鹿鳴館時代の幻想に入り込み、小町=老婆を美しいと言ったために息絶える話。幻想的な展開が劇としてもおもしろいのだが、それと同時に美しいと感じることの先入観や条件、あるいは美しいと感じることの固定性について、思い直させられてしまう。

 今回の演出では、本来別キャストによる老婆と小町が同一キャスト(佐藤ひさら)での上演であったが、薄汚い老婆から若く美しい小町への早変わりという見た目の驚きはあるし、同一人物の過去と現在であることの感じが深まるのは確かだが、音楽的にはソプラノの老婆には現実味が薄れてしまっていた。室内オペラとはいいながら、パーカッションやピアノ、ハープも多用されたオーケストラで、若杉弘の指揮もこの作品の良さを十分に出していた。

 後半のシューベルトの「女の平和」は、一転して、あまりドラマ的に深くないジングシュピール。戦争にばかり行っている男たちに、セックス・ストライキで抵抗して戦争に行くことを止めさせるという、女による平和を作る話だが、時節的に合っているものの、シューベルトの作品自体の話の展開にはそれほど深みはない。むしろ、音楽を楽しむ作品といった感じで、どのナンバーをとってもシューベルトの美しい旋律にあふれていて、心地よい雰囲気に満たされている。

 物語的に深い作品と音楽的に楽しむ作品の組合せで、一見すると「女性」がテーマというアプローチでの二本立てかと思えるが、(旧俳優座のこけら落し上演されたのが劇の「女の平和」でその時の音楽が石桁真礼生というつながりもあるそうだが)結果として組合せとしてはちぐはぐな感じがする。1回の公演で性格の全く違うオペラを二つも楽しめるというお得感はあるが、私の希望としては後半もドラマ的に深い小品を置いてもらいたかった。

(2005年1月17日 めぐろパーシモンホール)

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