新国立劇場「ザザ」
レオンカヴァッロの「ザザ」なんて、名前だけは聞いたことがあるようなないような感じで、ストーリーも知らなければ当然音楽も知らない。公演案内を見ると、「話の内容があまりに現実すぎて、やがて上演されなくなった。その現実さは現代でも変わらない」とある。こういう一歩引いたというか、ニュートラルな公演案内も珍しい。しかし、レオンカヴァッロといえばヴェリズモオペラだし、現実的なのが取りえのはず。それなのに現実的で人気がなくなったなんて、そもそも台本か音楽がイマイチなのではないだろうか、と疑いたくなってくる。(ちなみにいつものように台本もレオンカヴァッロ。)さらりとあらすじを読んでみても、オペラとしてはごく普通の悲恋ものに思えて、とりわけリアリティがあるようにも感じられない。ごく簡単にストーリーを記すと、一緒に住み始めた男が、実は妻子持ちで、男は結局家庭に帰ったという話。
ところが、いざ観てみると、確かに現実的すぎる。これなら、「やがて上演されなくなった」という意味も、「現代にも通じる現実さ」という意味も、納得できる。いちいち展開や会話や行動がありふれているのだ。男の、ちょっと浮気をしてみたけれど、やっぱり家庭が大事だし、もう終わりにしようと考えても、いざ会ってみるとずるずる延ばしてしまう、という気持ちがよく分かるのだ。また女の方も、相手が妻子持ちだと分かって、それをなじっても、男が「ごめん、でも僕には君の方が、」という態度を見せるので、試しに「奥さんに全部話した」とウソをついてみた途端、男が烈火のごとく怒りだすので、「出て行って」という、気持ちもよく分かる。出て行きながら男は、「でも本当に楽しかった」という素振りを見せるし、女も、男が出て行ってしまってから、「まだ呼び戻せるかも」と未練を残している。そこで終わり。現実も、こういうふうに終わるのである。(私は個人的には知らない。)殺人や自殺なんて、ふつうは起こらずに、こうやって一つの痴話ばなしは終わるのである。確かに「道化師」よりも、幾倍も身近な話だ。
作品の感想ばかりになるが、主人公以外の登場人物が明るいのも、現実味を増す。明るい人たちに囲まれたふつうの生活の中で悲恋は進むのである。また、悲劇ものオペラにはありえないことだが、主人公ザザの母親がとても滑稽な役回りをしているのである。いつも飲んだくれていて、娘の同棲相手に別の女がいると分かると、娘に向かって「ラッキー!スキャンダル!」なんて声をかけている。ザザの(これは悲恋ものオペラなんだから!)という嘆きが聞こえてきそうな感じである。
音楽はレオンカヴァッロであることは分かるのだが、時に軽快になったり深刻になったり少々ちぐはぐな感じがして、「道化師」のような融合された完成度はない。でも、その感じが舞台の現実性と合っている。
上演は小劇場の定石となりつつある、舞台後ろのオケだが、やっぱりオケの音が目立たなくなるし、ピットの向こうの舞台でやったって十分に演劇的にできると思う。それ以外はキャストも演出も指揮も最高の舞台だった。また、長い台詞と演技のみならず、オケに合わせて舞台上でピアノを弾く子役が必要なのにも、少なからず驚かされた。
しかし、このオペラを観たら、大概の既婚男性は独身女性に手を出すのはやめておこう、と思うのではないだろうか。(私には関係ないが。)
(2005年3月5日 新国立劇場小劇場)
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