藤原歌劇団「アドリアーナ・ルクヴルール」

 あまり大きな声で言ったことはないけれど、実は私は「アドリアーナ・ルクヴルール」が結構好きなのである。作品に近づいたきっかけは、自分の好きなフレーニが歌っていたからなのだが、間もなく作品そのものが気に入ってしまった。

 まず第一に好きな点は、伴奏である。好きなオペラ作品で、その理由が伴奏だというのは、邪道のような気がしないでもない。でもふつうのオペラは歌が途切れているところでも伴奏は鳴っているのだから、その部分が気に入るかどうかは大きいと思う。それでもワーグナーのような大それた管弦楽でもない、チレアの作品について伴奏が好きだというのは、やはり邪道っぽい。プッチーニのようにオケの響きだけで泣かすほどのうねりはなく、むしろヴェリズモに分類される作品としては控えめな伴奏である。しかしとても耳になじんで聴きやすく、ライト・モティーフも平易で分かりやすい単純な音楽は、ちょっと俗な感じもする。もしもチレアが今の人であったなら、テレビの効果音楽で活躍しているかもしれないと思えるほどだ。この伴奏の雰囲気は、他のオペラにはない独特のものだと感じるところが、第一の点。

 それからもうひとつの点として、諦念キャラ(ザックス、マルシャリン、リューなど)が好きな私としては、ミショネの役どころが、また好きなのであります。ザックスほかの名立たる諦めキャラクターに比べ、目立たないところも好感度が高いし、それなりに舞台上で努力も垣間見せるところが現実離れしていなくて親近感がある。この人物がいなければ、物語的にはそれほど深く好きにはなっていなかったかもしれない。

 そういう好きな「アドリアーナ・ルクヴルール」であるが、なぜか日本では滅多に上演されない。作品自体の知名度としても低くないはずだし、ワーグナーやR・シュトラウスほど上演が難しいとも思えないのだが。

 今回は1966年のローマ歌劇場の演出と舞台装置で、古色蒼然としていた。演出は古くても適確で、私はこのオペラが好きだから、それで構わない。舞台装置も悪くはないが、新しく作っても良いのでは、と思う。休憩も3回、幕ごとのカーテンコールもしっかり、「昔のイタリア・オペラを観た」という気にさせてくれて、それはそれでおもしろい。

 気になるオケの方だが、指揮が菊池彦典なので、安心して聴いていられる。ずっと前に聴いた「アンドレア・シェニエ」の感動を彷彿とさせて、菊池さんの指揮がこの時代のイタリア・オペラの良さを十分に引き出している。オケの東京交響楽団も健闘していて良かった。ただ、なぜ今回の公演で東響を使うの?という疑問はあった。

 ところで、アドリアーナを暗殺したのは本当にブイヨン公爵夫人だったのか。もしかしたら関係に飽きたマウリツィオか、希望を無くしたミショネか、ということが公演の夜の我が家で話題になった。なんか俗な話題になってしまったが、これも伴奏が俗っぽいせいなのか。

(2005年8月27日 東京文化会館)

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