新国立劇場「ニュルンベルクのマイスタージンガー」

 有名歌手が指揮や演出を手掛けるとなると、まずキャストの歌いやすさに重点が置かれて、指揮あるいは演出の本来担うべき役割が軽視されはしないか、という懸念が浮かんでくる。実際にはそんなことは少ないのだろうが、そういう穿った予想をしてしまうのは、もちはもち屋的発想の弊害か。

 ベルント・ヴァイクルの演出した「マイスタージンガー」は、そういう意味では意外におもしろく、演出家のような演出に仕上がっていた。舞台の大枠は崩していない。例えばベックメッサーの融和がありえないところなどは、演出のトレンドより、作品本来の姿を表現できている。しかし、決して保守的な舞台ではない。演技は細かくて、時代的なイタリアオペラのような歌重視の動きではなく、手や表情だけで適確にスムーズに表現している。それぞれの登場人物の置かれている状況に即した行動は、感覚としては現代的だ。歌手が演出したから歌を楽しむ舞台になっているというのではなく、ちゃんと芝居として入り込める舞台となっていた。

 それは、エーファの行動に一番よく表されていた。可憐なイメージより、よく動く、おてんばな娘のようになっていた。特に、ザックスに対する行動は積極的で、2幕の対話のシーンではスキンシップも濃厚であった。(濃厚とはいっても、はたから見ていると仲の良い父娘のような雰囲気である。)

 舞台セットは大きな箱の中のような角ばったもので、それ自体は良くも悪くもなく特に意識されない。最後のシーンも河原ではなく大きな中庭のような感じになってしまっていたが、それもさして問題ではないと思う。ただ、そのセットに施されたデザインがイマイチな感じがした。中世ニュルンベルクの図がそのまますべての壁に描かれているのは、なんか虚構的な感覚がするし、色彩も地味な感じがした。

 キャストの中ではエーファとベックメッサーが、歌も演技も良かった。ヴァルターが少々背が低く(他のキャストに相対してのこと。特にエーファに対して。)、既に貴族的な雰囲気は漂っていなかった。

 合唱は良かったものの、オケはやはり完璧ではなかった。指揮者の解釈かとも思われたが、レックの指揮は「ルル」の時はとても良く感じたから、そうではないだろう。思い出せば二期会の「マイスタージンガー」でも東京フィルは健闘はしていても完璧だと感じなかった。日本のオケでもワーグナーが満足に聴けるところもあるだろうから、新国立劇場のピットを期間ごとに限定するのではなく、演目ごとに変えてもいいのではないだろうか。(ひいては座付きオケを固定するマイナス面にもつながる。)今回は陶酔のワーグナーではなかった。

(2005年9月17日 新国立劇場)

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