新国立劇場「アンドレア・シェニエ」

 歴史ものと思われているオペラでも、そのほとんどはいつの時代でも共通な社会関係か人間関係が作品の本質であるから、演出上の時代設定には、私は普段はこだわらない。だけど、なかにはその設定された時代にこだわってほしい作品もあって、その理由は全く個人的な好みの問題でしかないのだが、例えば「トスカ」なんかは限定された三人の話でありながら、その背景の及ぼす影響が大きいので、1800年のままにしてもらいたい。この「アンドレア・シェニエ」も時代設定は変えてほしくないのだが、その理由は「トスカ」とはまた違って、1幕と2幕の様子の違いのおもしろさは1789年の前後でないと十分に表せないように思う。

 今回の演出家(フィリップ・アルロー)の意図するところは、プロジェクターなどの技術は用いながらも、各幕をそれぞれのシーン(歴史的時期)に合わせて色づけすることにあったようなので、どんなものになるのか少々期待していた。しかし、実際にはそれほど幕ごとの違いは感じられず、白と黒が基調の舞台装置は断頭台のイメージである斜めのラインがふんだんに取り入れられていて、それらを巧みに組み合わせて作り上げている舞台は、むしろ統一感のあるすっきりとした舞台になっていた。時代と場所の設定は変えていないのに、時代と場所が特定されていないようで、全体的にはまとまっているのでそれなりによく出来ているものの、中途半端な感じがしないでもない。そう感じるのは、予算不足による制限があるためか、はたまた私の鑑賞能力不足による制限か。でも、なかにはこの演出が気に入らない人もいるだろうな、と思っていたら、案の定、カーテンコールでは演出家のみにブーイングが飛んでいた。

 キャストは、歌も姿も舞台映えするゲオルギーナ・ルカーチのマッダレーナが目立ち、セルゲイ・レイフェルクスのジェラールがきっちりと舞台を締めていた。この二人に、カール・タナーのタイトルロールは少々押され気味で、もうひと踏ん張りほしいところ。

 意外にミゲル・ゴメス=マルティネスの指揮が平凡だった。確かにジョルダーノの音楽の良さには浸り切ることはできたので、不満をもつほどではなかったが、指揮者としてのひねりがないように感じられた。

(2005年11月20日 新国立劇場)

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