サンクトペテルブルグ・マリンスキー・オペラ「ジークフリート」

 そもそも「ニーベルングの指輪」を通しで観るなんてことは、現代の庶民では通常ムリである。どうにかチケット代は融通できたとしても、数日間で16時間も融通するのはムリである。これは正味16時間であって、4回分の劇場までの移動時間などを含めると、もっと多大な時間を費やすことになる。そういう困難な状況は日本に限ったことではないと思う。そもそも平日の4時から開演すること自体が、勤め人には鑑賞不可能だ。一体どんな人たちが、通しで「指輪」を観ることができるのだろうと、毎回公演がある度に不思議でたまらない。

 そんなグチは置いといて、私はまだ舞台で「ジークフリート」を観たことがない。(全くの余談だが、「ジークフリートの冒険」なら観たことはある。)例によって、私はCDなどを聴かない方なので、「ジークフリート」の音楽を全部聴くことも初めてである。だから普通の初心者の如く、まず作品の感想から述べさせてもらうと、一作品としてのまとまりがあって、物語としておもしろく感じた。「ワルキューレ」なんかは2度ほど観たことはあるのだが、1幕と3幕の登場人物が全く違っていて、長い「指輪」の断片でしかない、という感じがするのだが、「ジークフリート」はジークフリートの、それこそ「冒険」という筋が一本通っていて、この作品だけでもとりあえず完結できる。また音楽的には、1,2幕と3幕の音色の違いがはっきりしていて、作曲中断の跡が分かるのも珍しい作品だと感じた。

 さて今回の公演だが、驚いたことに演出のない舞台であった。結果として演出がないということではなく、最初から演出者がいない。指揮者のゲルギエフと舞台美術のツィーピンの両方に「演出構想」という役割が付けられているのみである。確かに最近のドイツ・オペラの上演とは一線を画す、なにがしかの主張は感じられない舞台である。鮮やかな原色の照明を駆使して、見た目にきれいな冒険ファンタジーとなっている。まるで素直な「魔笛」のような世界である。それは、嫌悪感を覚える人はいないだろうが、強力な感動を呼び起こされる人もいないだろうな、という舞台だと感じた。「指輪」4作品を通して観ているわけではないのではっきりと言えることではないのだが、ロシアのオペラハウスとして「指輪」をつくる方向性を見出そうとしているのだろう。そう思うと、おもしろい舞台である。

 オケとキャストは独特の陶酔感には及ばないものの、満足して聴ける内容であった。

(2006年1月21日 東京文化会館)

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