新国立劇場「コジ・ファン・トゥッテ」

 一週間前に同じく新国立劇場で観た「魔笛」と比較して、今回の「コジ・ファン・トゥッテ」は全く雰囲気の違うモーツァルトの舞台であった。確かにジングシュピールとブッファでは、モーツァルトの中でも系統の違う舞台作品ではあるのだが、そういった作品そのものから出てくる違いではなくて、演出を中心とした舞台作りから感じられる違いのことである。例えば、先週のミヒャエル・ハンペが「コジ・ファン・トゥッテ」を演出し、今週のコルネリア・レプシュレーガーが「魔笛」を演出していれば、やはり正反対に違いを感じたと思う。

 今回の「コジ・ファン・トゥッテ」は、すっきりした簡潔な舞台で、こういう舞台だと登場人物の動きがよく目に入りやすい。先週の「魔笛」もよく作り込まれて良い舞台だとは感じるが、私としてはすっきりとした舞台の方が、観ていてストーリーに入り込みやすいし、また音楽もクリアに耳に入ってくるような気がしてくる。

 舞台の雰囲気だけではなくて、演出そのものも、妙なヘンテコな解釈は施してはいないものの、ちょっと現代的な感覚も取り入れて、妥当なところである。ところどころ(というか何箇所も)意味が理解できない演出(例えばドラベッラのアリアを庭園の生垣の上で歌わすとか)があったにもかかわらず、それら細かな点には大した意味はないのだろうなという感じもして、全体の流れが突っかかるものでもなかった。結末において、元々のカップルに戻させないのは今時普通で当たり前としても、今回の舞台では、フィオルディリージとフェランドの新しいカップル誕生に対し、ドラベッラとグリエルモは一緒にならない、というように対応を分けさせたのはおもしろい作り方である。(ただ、なんとなくドラベッラとグリエルモの方こそ一緒になりそうな気がするが。)一点だけ納得できないところは、合唱をコロス風に傍観者に仕立てていることだけは目障りに感じた。合唱の扱いに困るのであれば、いっそピットの中に入れてしまった方がいい。

 キャストは、歌も演技の良さも十分であった。急な代役のフェランド(高橋淳)だけは、初日でもあって、少し役になりきれていないように感じられたが、それはいたしかたないところであろう。ドラベッラ(エレナ・ツィトコーワ)とグリエルモ(ルドルフ・ローゼン)なんかは、見た目の容姿もいいし、動きも良かった。

 指揮のオラフ・ヘンツォルトは初めて聴くのだが、公演案内の顔写真だけ見ると「コジ」に似つかわしくなくて不安だったのだが、意外にも序曲からわくわくさせるような音楽作りで、よくオケをコントロールしていた。

(2006年2月4日 新国立劇場)

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