新国立劇場「こうもり」

 私はそれほど「こうもり」が好きではないのだが、こういう「こうもり」なら何度でも観てみたいと思える今回の舞台であった。

 日本人公演の「こうもり」によくある、ダジャレ・時事ネタ・ローカルネタ満載の抱腹絶倒タイプでもなければ、外来オペレッタのよく練られて歌も演技も板についている新喜劇タイプでもない。かといって豪華なセットと舞踏会でウィーンの高級感を醸し出したものでもない。それでも、とても良くできていて、おもしろかった「こうもり」である。

 このおもしろいという感覚は、笑えたという意味でも、音楽的満足でもない、別の何かである。もちろん、結構なキャストを揃えているのだから音楽的には十分だし、客席の笑いも普通に多かったし、それらもこの公演がおもしろくできていた重要な要因であることは確かではある。しかし、それだけではない。

 まず、キャストの動きがオペレッタにしては重い。ロザリンデのナンシー・グスタフソン、フランクのセルゲイ・レイフェルクス、オルロフスキーのエレナ・ツィトコーワ、アルフレードの水口聡など、それぞれオペレッタを意識してがんばっているのに重い。アイゼンシュタインのヴォルフガング・ブレンデルにしても、齢のせいか、ファルケ役でビデオに残っているものに比べると軽やかさが減退している。アデーレの中島彰子だって、フォルクスオーパー出身とはいえ決して軽い役が似合うわけでもない。ところが、それがミス・キャストになっていなくて、それなりに歌と役でポジションを確立している。その一種の贅沢感というか、もうこういう不思議なキャスティングでの「こうもり」は聴けないのだろういう、レアな感じが、微妙に心地よい。そういう上演でも許容する「こうもり」という作品の性格と相俟って、おもしろく感じたのだと思う。

 指揮(ヨハネス・ヴィルトナー)も、なじんだ「こうもり」ではないが、聴き応えのある音楽作りである。(東京フィルはもう少し。)演出(ハインツ・ツェドニク)は、控えめで好感のもてるもの。何の驚きもなかったが、それで良かったのかもしれない。舞台美術も簡素なのか豪華なのか分からないところが良く、明るい美しさを最後まで保持していた。

 私の好みの形の「こうもり」になっていたが、もしかしたら「こうもり」大好き人間にしてみたら、果たしてどのように感じたのかはなんともいえないところである。

(2006年6月14日 新国立劇場)

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