新国立劇場こどものためのオペラ「スペース・トゥーランドット」

 今度の新国立劇場こどものためのオペラは、微妙な出来具合である。おもしろいにはおもしろいが、こどもにとってもオペラなのかショーなのか、なんだか分からなかったのではないだろうか。もし仮に、思い切ってこどもだましに徹すれば(新国立劇場がそういう選択をするとはありえないと思うものの)、こどもは大いに楽しめるだろうし、大人もそういう公演だと割り切れる。逆にオペラそのものの短縮版の舞台にすれば(こちらの方が新国立劇場にふさわしい選択だが)、おもしろいと感じるこどももいれば、おもしろくなかったと感じるこどもももたくさん出てくるだろうし、もしこどもがおもしろくないと感じればその保護者もそうだったのか、と諦めてしまい次につながらない。(なかには、こどもの興味より、本人の興味本位でこどもをだしに連れてくる大人もいるだろうが、そういうマニアックな観客は集客の対象外。)

 だからどういう形で上演するかの処理が難しいところだとは思うものの、今回の「スペース・トゥーランドット」はそのあたりが中途半端であった。舞台を宇宙空間に変えて、迫力ある映像もふんだんに使っているものの、物語の変え方がよくできていない。もしかしたら作品オリジナルの意図だけは守ろうとしているのかもしれないが、それにとらわれるのなら物語を変える必要はなく、原作どおりの(昔の中国でなくてもよいから)ストーリーの展開でよいと思う。新たに物語を作るのであれば、いちいちオリジナルに対応する登場人物を作らなくていいし、トゥーランドットが愛情を知って心を解かす結末にこだわらなくてもよいと思う。

 音楽は、「トゥーランドット」のいろいろなモティーフを使って場面をつなげていくのだが、原曲をよく知っていれば、こういうシーンにこのモティーフを使っているという理由が分かっておもしろいし、そのうまい処理に感心してしまう。ただし、そのモティーフが女官の合唱とかピンポンパンの退場の音楽とか、微妙なところをそれにふさわしい局面で使っているから、大半のこどもには、というか大半の大人にも、その編曲のおもしろさが分からないと思われる。

 もっというと、舞台天井から吊り下げられた丸い鏡にトゥーランドットの顔の映像が映されるのだが、これは新国立劇場の本公演の「トゥーランドット」でも同じ手法がとられていたものであり、そのパロディだということを知るには相当難しいものがある。

 私としてはこのような編曲処理や演出におもしろいと感じていたのだが、帰り道で娘が私に「話がよく分からなかった」とそっと耳打ちしたことにも同感であった。もっともわざわざ出かけたのは私自身の興味本位であって、娘はだしであったのだが。

(2006年7月30日 新国立劇場中劇場)

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