東京室内歌劇場「ヤーザーガー」「井筒の女」

前半がブレヒトとワイルの教育劇「ヤーザーガー」(35分)、後半が別宮貞雄の詩歌劇「井筒の女」(55分)という構成の公演。

新作の「井筒の女」は、どうも台本に難があるようだ。プログラムの作品解説にも、台本が難解であると書いてある。前半部分と後半部分で台本作者も違うのだが、その二人のあいだでのストーリーの擦り合わせが不十分だとまで評されている。作曲者のコメントにも、台本に満足していないようなことをにおわせることばがある。いわゆる、「音楽はいいけど台本がイマイチ」な作品のようなのだが、ふつうはそういう判断は過去の作品になされるのであって、初演時のプログラムにそういうことを書いているのは珍しい。

別宮貞雄の音楽は、85歳とは思えない広がりのある響きで聴きごたえはあるのだが、台本のせいか、場面ごとにきっちり音楽が途切れていて、短い作品なのに全体としての緊張感が持続しない。そういう作品に向かって、指揮の若杉弘、演出の栗山昌良という大御所も持てあまし気味で、表現に困っているような印象の舞台であった。

ただ、難解なストーリーで作品のテーマも不明瞭とはいえ、場面場面の音楽での充実感はあるので、再演を重ねることができれば、上演方法を工夫することにより解釈が豊富になる素地のある作品だとも思う。あるいは、いっそのこと、声楽付きの交響曲(楽章数にこだわらず)に仕立て直したりすれば、音楽も公演も生き生きしそうな予感もある。

この日の公演のメインは前半の「ヤーザーガー」にあった。物語の元になった能「谷行」とは結末もテーマも全く別なものになっているようだが、簡潔でムダのない展開で、一気に引き込まれる。また、ワイルの一度聴いただけで歌いたくなるような音楽も、舞台への集中感を高める。演出もよくこなされていて、能から英語の芝居へ翻案したものから更にオペラ化という過程から生じるようなストーリーの不合理さも、元にある能の物語を生かした舞台の様子で、違和感のないものになっていた。全体に教育劇的な雰囲気の枠にはめながらも、ドラマ的な要素も的確に伝えられていた。舞台奥に譜面台を前に一列に並ばせた合唱の扱い方も、一見普通な処置のように見えながらも、その譜面のめくり方などで独特な景色を作っていた。題材は現実的ではないものの、確かに鑑賞後に一考させられるものはある。

今回の公演の二作をカップリング上演することは、相乗効果よりも、互いの印象が相殺されているような気がしないでもない。(東京室内歌劇場の以前の「卒塔婆小町」「女の平和」の公演の時も同じように感じた。)「能」が原作であるという共通項はあるもの、「能」自体さまざまな物語があるのだろうから、それで括るのは弱いように思う。指揮や演出に一夜の公演で統一感が持たせられやすい作品の組み合わせのほうが、鑑賞する側としてもより鮮明に記憶に残ると思う。

2007年1月13日 新国立劇場小劇場)

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