新国立劇場「運命の力」

このプロダクションについては、昨年の丁度同じ3月21日に観ていて、それからまだ一年しかたっていないので、舞台の記憶もまだよく残っている。再演に当たって特に演出などの改訂が加えられているわけでもなさそうである。こういう場合は、演出や装置に対しては新たな楽しみはないので(当然、既知の楽しみはあるが)、公演への期待は自ずと指揮やキャストに注目がいってしまう。

と、思っていたのだが、なぜか今回も演出(エミリオ・サージ)のついての感想を持ってしまった。シンプルなセットで、全幕の統一感があるのはいい感じなのだが、こういうどよんとした暗くてしかも長い作品だと、もう少し見た目に変化が欲しいと思う。音楽そのものには、暗い作品の中にも変化があるのだから、それに合わせて舞台の色調を変えてもいいように思う。(とは言っても、ごてごての時代的舞台で通されるのもつらいのだが。)一年前の自分の感想を振り返ると、すっきりした舞台に好感はもてるものの、演出の意図が1回観たきりでは理解できなく、再演を観ると理解できるのかもしれない、と書いてあった。その再演を観たのだが、感想としては大差ない。決して嫌いではないし、悪い演出ではないとは思うものの、この舞台で演出として表現したいことは何なのかは、やはり私自身の心におちなかった。もう一度、しかももっと私の鑑賞能力を高めてから、観るべきだろうか。

一方で、新たな楽しみとして期待していた指揮(マウリツィオ・バルバチーニ)は、あまり感想を持たなかった。イマイチ特徴が無かったような感じで、イタリア・オペラらしい音楽作りの指揮であったため、良くも悪くも気にならなかった。まあ、すんなり聴けたのだから、どちらかというと良かったことになるのだろうが。

キャストは、それぞれ歌は良かった。歌以外の本質でない感想を述べると(申し訳ないが)、まずアルヴァーロ(水口聡)が、手を広げたり揺らしたりする、ひと昔前の雰囲気の歌う仕草が気になった。レオノーラ(インドラ・トーマス)は、演技はいいものの、時々小走りをするシーンでバタバタと足音が響くのが、なんだか育ちが良くなさそうな雰囲気がした。巨漢ではない(多少は太っているが)ので、単に小走りの仕方だけの問題だと思われる。フラ・メリトーネの晴雅彦は、昨年の初演時も好演だったが、今回はさらに本性が出て、ますますクネクネしていた。

2007年3月21日 新国立劇場)

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