ドレスデン国立歌劇場「サロメ」

「タンホイザー」に引き続いて「サロメ」を観るというより、準・メルクルの次にファビオ・ルイジでドレスデン・シュターツカペレを聴くという感じが強いのだが、そういう観点でないと、限られた財力と環境の中、続けざまに公演に足を運ぶことはできない。

そのようなグチじみた前置きはいいとして、早速、ルイジの指揮の感想。個人的に期待をふくらませすぎていたためか、思ったより最初のつかみは弱いように感じられた。特徴的な冒頭のクラリネットから「サロメ」の世界に入ってしまうことにはならなかった(舞台セットの影響もあるかも)。だが、そういう感想も束の間だった。まもなく、管弦楽が力強く響いて、ぐいぐいと引っぱられるものが感じられるようになり、あとは終始息をつかせぬ演奏が最後まで続いた。緊張する音の飽和が1時間40分、聴く方の神経も休まることなく満喫できた。こういう美しい大音響をドレスデンのオケで聴けるだけでも、この公演の価値は十分にある。ルイジの振りぶりも上階からだとよく見えて、目が離せなかった。

だけどこの「サロメ」は、耳と目をピットにばかり集中するわけにもいかず、舞台上のキャストの歌と演技からも目が離せないものがあった。

キャストの中でも、カミッラ・ニールンドのサロメが、また意外にすばらしい。意外に、というのは、サロメという人物は、これまでニールンドで観てきた元帥夫人ともエリザベートとも違うキャラクターであるのに、またもや相応の適役に思えてしまった、という意味である。確かに(演出上のこともあるのだろうが)16歳の処女ではないが、若くて妖艶さももつ娘の雰囲気は十分で出ていて、今回の舞台にもよく合っている。これにヘロデのヴォルフガング・シュミットやヨカナーンのアラン・タイトスなども歌、演技ともに良くて、これらのキャストの絡みは、オケの大音響にも負けないほどの迫力が感じられた。

演出(ペーター・ムスバッハ)も、オーソドックスな舞台とは程遠いが、歴史や聖書の背景を取り払った「サロメ」だけの物語としてみれば、そのおもしろさをとてもよく表現できていると思った。菱形の急斜面の平面に、一箇所だけプールサイドを連想する手摺り(と同時にヨカナーンの牢だと直感させる)のみある装置で、あとは照明で、白を基本に青くなったり赤くなったりするだけの舞台である。各登場人物の心理面を際立たせていて、ヨカナーンも最初から舞台に出ているし、サロメを真っ向から拒絶しているとも思えない。特に7つのヴェールの踊りの場面は、通常の舞台のようなサロメの独演場ではなくて、サロメ、ヨカナーン、ヘロデ、ヘロディアスの4人の心理戦の様相を呈していた。サロメがヘロデとヨカナーンを同時に挑発するだけでなく、ヘロディアスも積極的に挑発仕掛けてくる。音楽のみの場面をこのように処理することは、歌として言葉で表現する以上に、登場人物の心理を表現する効果が絶大である(と、私は感じた)。

でも、この舞台装置、あまりにも急斜面で前方に角のある菱形であるので、カーテンコールがとてもやりづらそうで、豪華キャストもぎこちない挨拶であった。

2007年11月24日 東京文化会館)

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