藤原歌劇団「どろぼうかささぎ」

舞台上演では日本初演らしいので、映像や録音で予習をしてこない私と同じような観客が大半と思われる客席は、ロッシーニとは思われない作品自体の内容に、多少の戸惑いと感動があったものと思われる。途中から、まわりの客席ではすすり泣く女性たちが多く見受けられたが、そのすすり泣くタイミングが観客それぞれで分散されていたので、「ロッシーニなのに泣いていいの?どこで泣くの?」といった雰囲気が感じとられた。それでも私は、ロッシーニがブッファだけの作曲家ではないことは知っていたし、それに実際に「オテロ」は舞台で聴いたことがある上、「湖上の美人」や「ウィリアム・テル」などは音楽を知っていたので、まったくのオペラ鑑賞素人ではないと思っていたから、「どろぼうかささぎ」は、お間抜けなタイトルとは違って、セミ・セリアであるといわれれば、それなりの内容に対する覚悟はできていたと思っていた。だが、私も、途中からロッシーニとは思えない感動に包まれてきて、思わぬところで泣きだしてしまったのである。

ちなみに、私が(まったくのオペラ鑑賞素人でない言い訳として)この作品に感動した点は、物語の深刻さではなく、物語に即した音楽の表現のすばらしさにであった。今まで聴いた他のロッシーニのオペラに比べ、人物の気持ちや場面の状況を適格にあらわした音楽(特にオーケストレーション)であり、その表現力の幅広さに感服してしまった。もちろん、これだけ音楽に感心したのには、アルベルト・ゼッダによる、ロッシーニを知り尽くした指揮のおかげであるところは大きいと思う。また、その指揮によく応えたオケも良かった。(東京フィルは、先日の「ワルキューレ」のような作品よりも、こういう作品の方が性質的に合っているのだろうか。)キャストも、チンツィア・フォルテをはじめ、歌はもちろん視覚的にも舞台によく合っていた。

演出も、現代において日本初演作品を上演するには、適度な簡素化と分かりやすさを兼ねていて、作品に感動させるきっかけを与えていたものと思う。セットも、シンプルで且つ大きく動くもので、見た目の変化は乏しいようでありながら、実際には長時間の上演を飽きさせないものであった。人物には、ストップモーションを時折使用して、一幅の絵画風に扱うところも美しかった。さらに大団円は、オペレッタと間違えそうな華やかさも演出して、最後までいろいろ楽しめた。(ラジコンによるかささぎも。)

ところで、結構いい作品(特に音楽)なのに、どうして上演が少ないのであろうか。日本だけでなく、ヨーロッパでも、そう多くはないようである。上演時間が長いといっても、4時間以内に終われば、オペラ鑑賞者にしてみれば、飛び抜けて長いというふうにも感じない。イタリア・オペラにしては、主人公の娘のラブ・シーンが少ない、という弱点はあるかもしれない。また、恋人関係より父娘関係が強いのも、ハッピーエンドの物語としては、少々重たい雰囲気になるからだろうか。だけど、私が思うに、かささぎの登場をどうするかを考えることが面倒で、上演されないのではないかと推測する。

2008年3月9日 東京文化会館)

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