東京室内歌劇場「ル・グラン・マカーブル」

リゲティの「ル・グラン・マカーブル」の日本初演。1978年初演の作品だから、プレトークで長木誠司氏が言っていたとおり、もう30年も昔の古い作品。ようやく日本で上演されるようになったのである。だから、最新作と違って、微妙に作品の位置づけが捉えにくい。説明によると、「アンチ・アンチ・オペラ」だという。それはどういうことか簡単に言うと、「ドン・ジョヴァンニ」のパロディである「放蕩者のなりゆき」のパロディになっていることらしい。全体にパロディということであるので、この作品は他の音楽の引用に満ちていて、ヴェルディからディズニーまでいろいろ知っていれば知っているほどパロディがおもしろくなる。私が観たところでは、「放蕩者のなりゆき」よりも「ホフマン物語」の骨格を持っている作品であるように感じられた。各幕共通の登場人物によるオムニバス形式になっているし、その各場面の最後には死神が出てくるし、オランピアのアリアのパロディも出てくる。

音楽は一見へんてこなものでありながら、聴いていて楽しくなる。12本もの車のクラクションが冒頭から大活躍するし、鳩時計、目覚まし時計、新聞紙、鍋といったものまであって、オーケストラ・ピットの4分の1くらいの面積が、パーカッション・エリアであった。それにピアノとチェンバロが両方必要というのも不経済だ。それでも、現代音楽風ではなくクラシックのオペラとしてまとまりがあるから、ずっと聴いていてもそれほど違和感はない。(指揮はウリ・セガル。昔は関西歌劇団で何度か聴いたことがあって、今回は16年ぶりに聴く、個人的には懐かしい指揮者である。)

演出(藤田康城)は、本来もっとドギツイと思われるこの作品にしては、かなりおとなしめに作っているように感じる。レズのからみや、SM夫婦なんか、日本での一般的なオペラ公演からするとお下品かもしれないが、目を伏せたくなるほどの演出でもなく、作品の本質を出し切っていないような気もする。ただ、本物の黒塗り霊柩車を登場させ、しかもそのボンネットに死神を立たせている演出は、日本的でありながら、さすがに不気味であった。

果たして、この作品の真意は何であるのだろうか?今回の公演の内容によるのかもしれないが、全体的に音楽に気がとらわれて、作品自体の捉え方が深くできなかった。なんとなく風刺は分かる。しかし、タイトルの「大いなる死」とは、どういうテーマなのか。大いなる死を迎えるために、充実した「生」を送るといった、単純で凡庸なことなのか。そうではないだろうと思う。そもそもテーマに深い意味はなく、なんでもいいからオペラにする題材に、たまたま「大いなる死」があっただけなのだろうか。音楽とストーリーを含めての作品全体像をつかむのは、1回聴いただけでは難しい。そういう意味でも、今回の公演は音楽しか楽しめなかった。

この公演のチラシもちょっと奇妙で、たとえば電車の中とかでは絶対に手に持てないようなデザインなのだが(東京室内歌劇場のHP参照)、もしかしたら、このチラシでも公演を観たいと思える人だけ来て下さいという、観客選別の意味があったのではないだろうかと、つい深読みしてしまう。

2009年2月7日 新国立劇場中劇場)

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