ボリショイ・オペラ「スペードの女王」

「スペードの女王」はおもしろくて好きなオペラだと、自信をもって宣言できればオペラ鑑賞上級者になれると私は思っている。もちろん私はオペラ鑑賞初級か、せいぜい中級に片足を突っ込んでいるくらいなので、今まで「スペードの女王」をおもしろいと感じたことがない。でも、聴き込んでいけば多分おもしろいのだろうな、という予感はするし、ぜひそのおもしろさを理解してみたいとも思っている。ちなみに、私はバロック・オペラについてもおもしろさが分からないのだが、こちらは嗜好の問題であって、無理してでもバロック・オペラを理解したいとは思わないし、観ようとも思わない。こういうオペラの中でのジャンルによる嗜好は、たとえば「現代作品はだめ」とか「R・シュトラウスの語るオペラは苦手」とか「プッチーニのわざとらしさがいや」とか、ひとそれぞれあると思う。しかし「スペードの女王」の場合は、何度も観てみておもしろさを理解したいという気にはなるので、個人的嗜好よりも単に難易度の高さの問題だと思う。

私は、過去に舞台では「スペードの女王」を1度だけ観ている。TV放送を通じては、たしか3回ぐらい観ている。プーシキンの原作については学生時代に読んだことがある。いずれの場合も、何がいいのか分からず、気を緩めると眠りにおちてしまいそうな感じで、その鑑賞時間を耐えていた。しかし、私もオペラ鑑賞を積み重ねてきたし、年齢も以前の鑑賞時に比べれば積み重なってきている。これまではこの作品の360度どこにも入り込む隙がないように感じていたが、いま改めて舞台を鑑賞すると、何かしらおもしろさのきっかけがつかめるのではないか。上手くいけば、突如としてその全貌が理解できて、深い感動に浸れるのでないか。そういう過大な自己評価をした上で、久しぶりに「スペードの女王」に出かけた。

音楽が鳴り出した。いい音楽である。そう感じただけでも進歩だ。演奏もいい。ミハイル・プレトニョフ指揮のボリショイのオーケストラは、前回来日した時に比べて格段に良くなっている。前回の来日のときは当時の国家事情もあって、名前倒れの演奏であった。今回も、少し金管に不安定なところもみられたが、ピットに入っていると気にならない程度である。「スペードの女王」のシンフォニックなおもしろさがよく伝わってくる。チャイコフスキーというと、「エフゲニー・オネーギン」をはじめ、「くるみ割り人形」とかヴァイオリン協奏曲とか叙情的なメロディを思い浮かべるから、「スペードの女王」のような深くて重いしっかりした音楽に出会うと、これまで戸惑いが生じていたのかもしれない。しかし、よく聴くと、心の奥底に残る、聴き応えのある音楽である。小澤征爾をはじめとした指揮者がこの作品を振りたがるのも納得できる。ロシア・オペラの重厚な系譜にしっかりと乗っている作品であることがよくわかる。そうなると、「エフゲニー・オネーギン」の方こそ、ロシア・オペラにしては異質な響きのようにも思えてくる。(そうだとしても、「オネーギン」の魅力は少しも揺るがないが。)公演が終わったときには、「スペードの女王」の重苦しいメロディをつい口ずさみたくなるほど、音楽のおもしろさを実感できた。

しかし、これは私がもともとオーケストラからオペラの世界にはまり込んでいったために、クラシック音楽の面からみた楽しさだけを理解できたのだと思う。実は、物語としては、やっぱり踏み込んだ理解はできなかった。テーマを突き詰めれば愛情か金欲かといったような、オペラとしてはごく一般的な話題である。だから、納得できない物語ではない。また、カードの勝ち札の謎が絡んでいるところは、他のオペラにはない雰囲気を出しているとも思う。だけど、おもしろいとまでは思えない。端的に言うと、登場人物のいずれについても同感するところがなく、身近な感じがしないのである。たしかに、リーザが絶望のあまり身を投げるシーンなどではおもわず涙が浮かんだが、私の場合、オペラを観て泣かない方が珍しいので、この程度では深く感動したことにはならない。結局、どこをつかめばこの物語の理解の糸口があるのか、今回も分からなかった。次に持ち越しである。

ただ、総合的に考えると、キャストも含めて演奏としては満足できたし、少なくとも音楽のおもしろさがわかったところは収穫である。その証拠に、3時間半の間、少しも眠くならずに舞台への集中を持続できた。オペラ鑑賞者として少し進歩し、両足で中級の域に立ったのではないか。だけど、リーザ(エレーナ・ポポフスカヤ)が意外に美形でオペラグラスから目が離せなかったことが眠くならずにすんだ主な理由だとしたら、逆にオペラ鑑賞者としては一歩後退で、せっかく中級に突っ込んでいた片足も元通り初級に戻さないといけないかもしれない。

2009年6月21日 NHKホール)

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