ミラノ・スカラ座「ドン・カルロ」

演出(シュテファン・ブラウンシュヴァイク)は平凡な感じのする舞台であった。平凡というのは、保守的な旧来の演出ということではなくて、現代的な感覚を持ち込もうとしているのだが、かといって斬新な解釈を持ち込んでいるわけでもない、という現在のオペラ演出としての「平凡」という意味である。装置はシンプルに作り、逆に衣裳はしっかり作っているというのは、悪くないと思う。ただ、一番気になったのが、カルロやロドリーゴの子供の頃の姿を登場させて、当の本人と同時に演技をさせていることである。たとえば、そういう処理をするにしても、舞台の進行が止まっているアリアの場面だけならまだしも、会話がどんどん進んでいる場面でも挿入してくるので、目障りである。エリザベッタも同様な処理をしているのだが、確かにこれら人物間の相関関係を理解する上では分かりやすくなる効果は認めるが、舞台上が多少混乱することは否めない。おそらくスカラ座の公演を観る人は物語の理解に補助は要らないと思われる。かえって目障りでもある。着眼点自体は悪くはないと思うので、子供時代の関係を舞台にのせずに表現する方法はなかったのかな、という気はしてくる。スカラ座だからといって、こてこてした伝統的な舞台にする必要はないが、もっとすっきりした主張の少ない舞台でも良かったと思う。音楽だけでも十分に表現できる布陣であったので、かえってそういう感想が残った。

キャストについては、名の知られていない歌手まで含めて、スカラ座セレクションだけのことはある。特にフィリッポには、東ドイツの重厚なイメージでイタリア・オペラには意外な感じがするルネ・パーペを配しながら、苦悩する国王の滋味を魅力的に引き出していて感動的であった。エボリ(アンナ・スミルノヴァ)は、幕が進むにつれて声も存在感も迫力が増してきていた。エリザベッタ(バルバラ・フリットリ)が意外にも芯が弱そうなエリザベッタになっていたが、声は申し分ないし、舞台栄えも十分である。カルロ(ステュアート・ニール)は、太りすぎで、枯葉の葉脈柄の衣裳であったから、まるで肥えたミノムシみたいに見えることに目をつぶれば、これも満足できる演奏であった。まさしく見てくれよりも声で勝負のカルロのキャスティングであって、ドイツの劇場では躊躇するところであっても、スカラ座の本懐といったところだ。

指揮のダニエレ・ガッティは、ミラノ生まれであるものの、伝統的なイタリア・オペラの音楽作りというより、よりストーリーに即した柔軟な且つ力強い演奏であった。私がスカラ座の演奏を劇場で聴くのは久しぶりだったが、合唱を含めて声楽的な面ではトップの出来は期待していたものの、オーケストラについてこれほどシンフォニックな満足が得られるとは予想していなかった。

2009年9月13日 東京文化会館)

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