新国立劇場「オテロ」

演出家は違うのに、昨年の「ドン・ジョヴァンニ」(セビリア→ヴェネツィア)に続き、今回の「オテロ」も舞台設定をキプロス島からヴェネツィアに移していた。しかも、どちらもルチオ・ガッロが出演しているから、謀ったような偶然だ。(今回の演出はマリオ・マルトーネ。)もっと踏み込んで言えば、「ドン・ジョヴァンニ」は作曲当時の18世紀末のヴェネツィア、「オテロ」はこれまた作曲当時の19世紀後半のヴェネツィアに設定しているらしい。(もっとも、私の乏しい知識では、18世紀と19世紀のヴェネツィアの違いが分かる由もない。)ただ、場所の設定を変えている理由についていえば、「ドン・ジョヴァンニ」よりも「オテロ」の方が理解しやすい。しかし、より関連が深いがために、かえって台本と舞台が合わなくなっている場面もでてきて、ヴェネツィアが舞台なのにヴェネツィアから使いが来た、みたいなことになっていた。まあ、演出家にしてみれば、社会背景としてのヴェネツィア共和国というものを表現したのだろうから、そんなに細かいことまで気にしなくてもいいのかもしれない。それに、全体としてみれば、作品に忠実な演出であって、音楽を邪魔するものでもなかった。

特筆すべきは、演出に合わせた舞台美術が大掛かりで、全幕、舞台全体に水を張っていて、その上に桟橋や建物が浮いており、見た目に壮観であった。オテロもイアーゴも、感極まってくると、その運河にバシャバシャ入ってしまっていた。最終幕では、デズデーモナまで入ってしまった。幕切れのオテロの自害は水の上で行われ、事切れたデズデーモナのところまで泳ぐように動いていた。別にいいのだが、水の音が結構大きかった。

キャスティングは、ルチオ・ガッロのイアーゴのほか、オテロがステファン・グールド、デズデーモナがタマール・イヴェーリで、順当なところ。無難ではあるが、表現も演技もよくて、十分に泣いてしまった。

オーケストラは、リッカルド・フリッツア指揮の東京フィル。スカラ座の公演の後に聴いただけあって、さすがにオケだけは違いが際立っていた。東京フィルも技術的には文句のつけどころがないし、音量的にも冒頭から迫力十分である。むしろ終始、鳴らしすぎの感じがしてこないでもない。もう少しイタリア・オペラらしいふくよかさがあってもいいように思う。楽曲を聴くには十分だが、果たしてオケだけで「オテロ」の感動が得られたかどうかは分からない。(スカラ座のオケと比べて申し訳ないが。)

2009年9月20日 新国立劇場)

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