新国立劇場「影のない女」

私が舞台で「影のない女」を観るのは、1992年11月のバイエルンの来日公演以来なので18年近く前のことになる。18年前は1幕から眠りに誘われたのだが、今回は1幕から涙を流して泣いてしまった。18年前は2幕3幕と進むにつれ理解の困難さから眠ることにしたのだが、今回は2幕3幕と進むにつれ嗚咽が込み上げかねないほど泣いてしまった。

以下の文章は、今回の公演の感想文にはなっていなくて、なぜ私は18年前の公演では「影のない女」という作品の良さが分からなくて、今回は分かったのかの分析である。

まずひとつ目は演出。18年前は鳴り物入りの市川猿之助演出(サヴァリッシュ指揮)だったのだが、今から思えばそのバブリーな舞台は「影のない女」の幻想的で豪華な雰囲気を強調していて、この作品の一面でもある深刻さを表現しきれていなかったのではないだろうか。もちろんその当時としては、そういう豪華な雰囲気の舞台は、バブリーな社会が求めているオペラの姿であって、その時点での演出としては妥当で満足のいくものであったように思う。(経済的なバブルは終わりつつあったが、社会全体はまだその余韻に十分浸っていた頃。)影のない女である皇后の影を舞台上でどうやって消して、どうやって出現させるか、というようなことに関心が集まった。地方からわざわざ観に行くだけの豪華な満足感は得られたが、私としてはそれ以上の精神的なものは得られなかった。

今回の演出(ドニ・クリエフ)は至ってシンプルである。演出家は公演プログラムで、新国立劇場の舞台機構が優れていて演出がやりやすいと言っているが、見た限りではそれほど舞台機構を駆使しているようには見えない。舞台セットは、一軒の家の壁を7枚にばらしたものと、石の壁に模したものが7枚。あと、木が1本とか。これらを場面によっていろいろ動かして使うのだが、それを動かすのは舞台機構というよりもほとんどが黒子である。隠れた最新技術が使われているのかもしれないが、見た目には場面転換はほぼ手動で実施される。

影にもこだわっていない。もちろん台本上、影の有無が重要な局面ではそれ相応の処理をしているが、普段は皇后の影は無視している。その結果、皇后が動きやすくなって、妊娠を求める若い女性であることがよく表現できるようになっている。

シンプルな舞台であるため、皇后とバラクの妻という二人の既婚女性についての夫婦関係及びこれからの妊娠という現実的な問題を、この作品の本質として提示できたのだと思う。それで私にも、この作品の良さが改めて分かったのだろう。

二つ目は、シュトラウス作品に対する鑑賞能力の成長。もちろんこれは個人的な鑑賞回数の積み重ねが直接的な結果であるけれども、シュトラウス作品が日本で舞台にかけられる頻度が増えてきていることがその背後にある。R・シュトラウスは、ヴェルディ、プッチーニ、ワーグナーなどのようにすぐさま楽しめる音楽ではなくて、何回か聴き込んでようやくその魅力の虜になるような音楽だと思う。以前(2000年までのこと)は、多分著作権の問題だと思うが、日本でのシュトラウス作品の上演が少なかった。CDをあまり聴かない私としては、そういうR・シュトラウスに不慣れな中での「影のない女」の鑑賞は、音楽的な受容能力に乏しく、音楽として十分に楽しめていなかったのだと思う。

それが最近では、日本でも数多くのシュトラウス作品が上演されるようになり、私自身としても、ほとんどのシュトラウス作品について、実際に舞台で聴く機会を得られた。そういう経験の後での改めての「影のない女」の鑑賞は、私自身の聴き方も違ってきているものと思われ、音楽の美しさにすんなり溶け込むことができ、その結果、舞台に神経を集中して楽しむことができたのだと思う。

三つ目は、私自身の成長、つまり加齢であり、これについては深く考えるまでもないことである。「影のない女」に限らず、文学作品も含めてあらゆる芸術作品は、若いときの鑑賞と年を経てからの鑑賞では味わい方が違うのだが、特にこの作品では若く楽しい時には分からない要素が多いように思う。18年前の私は何歳だったか忘れたが、少なくとも結婚はしていなくて、子供もいなかった。そういう人生の中の青臭い時代においては、この作品での影=妊娠能力の比喩とは思い至らず(知識として分かっていたとしても、実感として思い至らず)、「この作品は本当にシュトラウスの「魔笛」?」くらいにしか作品の理解ができなかった。今回、どのような点で、自分の実生活に具体的に引き落として実感できたのかは、詳細まで書けないが、少なくとも18年前はこの作品で感動するには、私としてはまだ年齢が若すぎたということである。

演奏は、エーリッヒ・ヴェヒター指揮の東京交響楽団。長い作品であるためか、終始高水準を保ち続けることは難しかったようだが、要所はきっちり盛り上げてくれていた。キャストでは女声3人が良くて、若くてまだ世間がよく分からないような皇后(エミリー・マギー)、疲れて倦怠感を顕わにしながら実はまだ若いバラクの妻(ステファニー・フリーデ)、貫禄たっぷりの乳母(ジェーン・ヘンシェル)と、それぞれ人物像の特徴がとても良く表現されていた。

昔は、舞台に感動していても、若い男が涙を流して感動するなんてみっともないと思って泣くのをこらえていたのだが、最近は恥ずかしげ気がなくなったのか、平気で泣くようになってきた。周囲を気にせずハンカチで目を拭きながら、「影のない女」に感動できている自分自身の無情な時の経過を実感せずにはいられなかった。

2010年5月23日 新国立劇場)

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