新国立劇場「蝶々夫人」
再演出の舞台だし、タイトルロールだけは初めて聴くけれど、それ以外のキャストは何度か聴いたことがあるので、かなり気を抜いて公演に出かけた。まあ、「蝶々夫人」なので、作品そのものの魅力から結局は感動して落涙してしまうかもしれないとは予想していた。そういう心持ちであったので、感想文も特段書くことがないだろうし、書いたとしても感動して泣いたことだけになってしまって、いつもいつも私の涙のことばかり披露するのも恐縮なので、書かないつもりでいた。
そこを敢えて感想文を書こうと思うほど、意外にも演奏面で感動した。しっかりとした指揮(イヴ・アベル)の力強い演奏であった。叙情的にお涙頂戴的なプッチーニではなかったが、強くて陰影に富んだ演奏であり、その結果、幕開き早々から思わぬところで感動して涙を流してしまい、あわててハンカチを手に取り、目を押さえなくてはならなかった。そういった演奏が蝶々さんの性格付けにも影響していて、気が強くて(時に気が短くて)、また一途な思いを持ち続けている蝶々さんの性格が強く表現されていた。蝶々さんのオルガ・グリチャコヴァも、予想以上に力強い歌唱で、歌だけ聴けば可憐さはないかもしれないけれど、これが本来のプッチーニの音楽ではないだろうかと思えてくる。(ただし、グリチャコヴァは外国人歌手にしては小柄な方なので、見た目の可憐さはキープしていた。)ピンカートン(ゾラン・トドロヴィッチ)、シャープレス(甲斐栄次郎)などほかのキャストも緊張感の持続した演奏であった。
今回は東京フィルの演奏も良かった。東京フィルにしてみれば、これまで新国立劇場や東京二期会などで、数え切れないほどこの作品を演奏してきているだろうし、そのうちの何回か(今、私の鑑賞暦を調べてみれば過去6回)は、私も実際に演奏を聴いているのだが、それらの中でも今回は特別良かったのではないだろうか。過去には、指揮者によるのだろうけど、慣れきった演奏になってしまい、単なる歌手の伴奏にしか聴こえてこないような、つまらない演奏に感じることもあったのだが、今回はまったく違うオケのように聴こえてきた。思った以上にオケの響きが良かったので、あまりのことに(外来団体以外では滅多にしないことだが)幕間の休憩中に指揮台のスコアを覗きに行ったほどである。(覗いたところで譜面の書き込みの意味は分からないのだが。)
当初の私の鑑賞態度に緩みがあった反動からくる過大評価もある程度はあるのかもしれないが、今日の演奏であれば、CDとして音源だけで聴いたとしても、心の底から泣けるのでないかと思う。それもストーリーとしてのツボだけで泣くのではなく、第1幕から思わず悲しくさせられて泣いてしまいそうである。
(今回の感想文は、ちょっとツウっぽく演奏の感動だけでまとめたつもりなのだが、結局のところ私の涙をからめた感想文になっているような気がする。)
(2011年6月12日 新国立劇場)