国立オペラ・カンパニー青いサカナ団「あさくさ天使」

2004年2月初演作品の改訂版(神田慶一作曲)。初演は東京文化会館の委嘱新作としての上演。当時の私の感想では、これは浅草・上野地区の壮大な市民オペラであり、まるで東京文化会館が地方の市民会館のように見えてくる公演であった。作品としては3時間半以上の上演時間を要し、舞台も大規模で、東京文化会館以外での再演は難しいだろうと思っていた。

現代作品、それも日本の現代オペラを鑑賞する楽しみのひとつに、再演に際し、作曲者が改訂を施す場合、初演(あるいは前回の版)からどのような手を加えたかを確認するおもしろさがある。この作品に関しては、演奏時間の長さと、かなり局地的なローカル性をどう克服するかが、ポイントになると思われる。

上演時間の長さについては、作曲者も気になっていたのか、プログラムにおいて「初演時より1時間短縮」したと説明している。ただし、私の実測ではせいぜい30分ほどの短縮で、今回の上演時間は短い休憩2回を含めて3時間15分だった。結局、短縮改訂でも相当の長さなのだが、単にカットしただけではなく、全般的にオーケストレーションも改訂し、また第3幕は脚本も改訂したということもあって、実際の上演時間に比べ、長さはまったく感じさせなくなっていた。

おそらく、上演場所も東京文化会館大ホールから新国立劇場小劇場に変わったことも、改訂する際の念頭にあったものと思われ、初演時の祝祭性が減少した分、ドラマとしての凝縮度が強まっている。(このことが、ローカルな市民オペラ的作品からの脱却につながっているものと思われる。)特に脚本から改訂している第3幕は、それだけで1時間を超す上演時間なのだが、その凝縮度がよく現れていて、この幕だけでも一編のオペラになりそうなほどの完成度となっていた。(その点、第1幕は改訂箇所が少ないのか、第3幕より短いにもかかわらず凝縮度がまだ薄く、改訂の余地は残っていそうだった。)作品全体としては、総じて良い方向に改良されたと見るべきで、公演後のロビーでも、観客から、初演時よりも随分と良かったというような感想が漏れ聞こえてきた。

今回の改訂による効果は、このように親しみやすい作品になったということよりも、浅草・上野というローカル性が薄らいだことにより、物語の本質、つまりは台本作者・作曲家の意図がはっきりと見えやすくなってきたことの方がより重要である。

ごく簡単なストーリーは、昭和34年頃の浅草で芝居小屋(劇場)が存続の危機に立たされ、芸人や裏方たちが一計を案じてこれを阻止する、というはなし。この本筋の全3幕を、現代の平成16年に設定された、プロローグ、2つの幕間劇、エピローグで挟み込むという構成。

この作品では、庶民の娯楽が、生の舞台からテレビに取って代わられるということに表象して、古いものは便利で新しいものに変わっていくという、時代の流れをどう捉えるか、または受け入れるか(受け入れないか)ということが、根底のテーマである。単純でありきたりなテーマかもしれないが、オペラとして鑑賞してみると、ここに文章として書く以上の後味が残る。

古いものが消えていくことは止められない。この作品では、とりあえず昔ながらの劇場を存続させることに成功してハッピーエンドとなるが、それもしばらくの延命であって、いずれ時間の問題であることは、作品の歌詞の中に暗示されている。消えていくことは止められないかもしれないが、そのものの良さは現役としては残らなくても、精神としては残すべきものである。それが、プロローグ、幕間劇、エピローグで、登場人物の現代の姿として現れてくる。

古いものが新しいものに代わるという、時代の流れをどう受けるべきなのか。それをオペラを通じて考えているが、そもそもオペラは古いものでないのか。この物語での芝居小屋と同じく、生の舞台ではないのか。オペラの中の人物たちも悩み考えているが、それは演じている歌手たちも考えていることであり、同時に観ている私たちも考えている。

もう少し広げて考えると、この作品の舞台は昭和34〜35(1959〜60)年、この作品の初演は平成16(2004)年、この間45年である。一方、初演から改訂再演の本日2011年まで、この間すでに7年である。実は初演時の2004年もすでに過去の時代になっているのではないか。この作品では、生の舞台がテレビに取って代わられると危惧しているが、2011年においては、そのテレビが他の新しいものに取って代わられることも十分に現実味が出ているのではないか。

過去の時代を、ノスタルジックの一線を超えて、どう引き継ぐのかについて、再考させられた。

また、これは時代の流れのテーマとは別の視点だが、このオペラはいわゆる「楽屋もの」である。そして、本来は3月下旬に公演が予定されていたものだが、震災で延期になった公演なのだ。作品の中で劇場の役者たちが、なぜ(テレビの時代になっても)舞台で演じ歌うのかということについて考えているが、それは震災後においてもなぜ舞台を上演するのかという自問に、図らずもつながってくる。プログラムで作曲者がそのことに言及している。私は表現者の立場ではないので、その問題への回答からは自由だが、十分に心に留めて鑑賞すべきことだと思う。

指揮、演出は作曲者自身。キャストには、菊池美奈、蔵野蘭子、田代誠、所谷直生ら、小劇場で聴くには強力なメンバー。もとより、この作品の主旨に同調して舞台に立っているのだろうし、また作曲者もこのキャストを念頭において改訂版を作っているのだろうから、演奏面では言うことなし。

2011年9月3日 新国立劇場小劇場)

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