新国立劇場「イル・トロヴァトーレ」

演出家(ウルリッヒ・ペータース)が、自慢げに、「今回の舞台には「死」を擬人化させて登場させる」と語っていた。しかし、私がこれまで観てきた舞台のなかで、台本にない人物を登場させた演出で、おもしろいと感じた公演はあまりない。(まったくないことではない。)このような演出手法は、一般的に言って、かえってストーリーが分かりにくくなるように思う。たとえば最近では、スカラ座来日公演の「ドン・カルロ」で、カルロとエルザの子ども時代の役が何度も舞台に登場していて、これが最初だけとか最後だけとか少しだけなら効果的だったのかもしれないが、何度も出てくるとちょっとうっとうしい感じがしてきた。

今回の「トロヴァトーレ」では、演出家自慢の「死」の擬人化、つまりは死神なのだろうけど、そいつが少しだけ出てくるどころか、すべての場面でほとんど出ずっぱりで、しかも死神なのに子連れだし、結構見た目にうっとうしかった。そもそもが、抽象的な概念の擬人化であるので、なお分かりにくい。ドイツ人の演出家らしい観念的な思いつきだが、ドロドロにドラマチックな「トロヴァトーレ」に、ムリに観念的な手法を用いていて、違和感がある。

衣裳や舞台セットは、台本からは自由な簡略化したものであったにしても、「トロヴァトーレ」のイメージとしては全然おかしくはない。それらがまともなものであっただけに、死神の挿入以外は至極ふつうの「トロヴァトーレ」であって、そこに無理やり妙な細工を施したようになっているから、一層違和感が増す。これでは、保守的な演出なのか斬新な演出なのか、どちらにしても生半可な感じがしてくる。いっそのこと全面的に抽象的なセットと衣裳にして、徹底的に死神を強調すれば、(その結果として賛同できるかどうかは分からないが)演出プランの意図がはっきりして、観ている方も賛否の気持ちがすっきりした状態で鑑賞できると思う。

そもそも「トロヴァトーレ」は、この前後の「リゴレット」や「椿姫」のような現在の一般人でも感情移入しやすい作品ではないので、現代感覚を持ち込んだ演出はなかなか難しいと思う。少々の台本の強引さは、強靭な歌唱と管弦楽の演奏で押し通して、結果的にオペラとしてもおもしろかったと感じるような、いってみればイタリア・オペラの本道で上演する方法が、もっとも適している作品だと思う。

演奏はとても良かった。キャストと合唱の歌は、妙な演出なんてどうでもいいかのごとく、この作品特有の楽しさが十分に味わえた。特に男声二人(ヴァルテル・フラッカーロ、ヴィットリオ・ヴィテッリ)は、最初から最後まで安定したヴェルディの音楽を聴かせてくれた。

指揮者(ピエトロ・リッツォ)は、まだ若いのか、多少硬めの丁寧な音楽を作っていた。休止を少し長めにとることが多く、これはいわゆるタメの効果を考えてのことだろうが、若くて硬い演奏を少しでも味付けしようと努力してのことかもしれない。シーズン開幕公演は大役だと思うが、また何年か経ってからじっくり聴いてみたいと思わせるものはあった。

2011年10月2日 新国立劇場)

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