新国立劇場「ルサルカ」

私はこのオペラを全曲聴いたことはなく、また物語の詳細についてもよく知らなかったのだが、水の精の話だということは承知していた。ウンディーネや人魚姫のバリエーションだろうという程度の心づもりでいた。

実際に舞台で観たところ、物語としてはその通りであった。湖に棲む水の精の少女ルサルカが、陸上の王子に恋をして、魔女と取引して、陸を歩けるようになる代わりに声を失うことになり、陸に上がって王子と恋愛関係になるが、言葉が交わせないことに王子がルサルカに飽きて、他の姫と恋するようになり、ルサルカは失意のうちに湖に帰るが、思い直した王子がルサルカの湖に戻ってきて、ルサルカとキスした王子は湖の中で死んでしまうという話。海が湖になっていたり、下半身が魚というようなグロテスクさもないが、大筋、マーメイドである。歌詞の中に、「水の泡になってしまう」と言うようなこともあり(言うだけで、ならない)、人魚姫を連想させる。だから、展開に驚きはないが、安心して楽しめる幻想的な物語になっていた。今回の舞台セットも、うねった曲線の壁に囲まれた、閉鎖的な暗い青色の舞台で、床も水面の様によく反射していて、見た目にもおとぎ話にたっぷり入り込めるようになっていて、とても美しかった。

演出(ポール・カラン)は、基本的に幻想的な物語をより幻想的に見えてくるように作っていて、あまり上演されない作品であるのにとても親しめるようにできていた。そして、よくできた工夫として、全体を成長過程にある少女の夢あるいは空想として仕立てていた。冒頭、序曲の間に幕が開き、そこは、夜、森の中の民家の屋根裏部屋(少女の寝室になっている)で、ベッドの上に少女が座っていて、傍らの椅子には父親が物語の本を広げたまま眠っている。少女は人形を触って遊んだりしているが、やがてベッドから降りて、鏡の前に立ち、そこから物語の世界に入り込んでしまう。

少女はルサルカとして長い物語を経験し、王子が死んで、物語が終わると、また元の屋根裏部屋に戻ってきて、自分のベッドに上がる。最初に遊んでいた人形も、もう触ったりするのではなく、窓に立てて飾っておく。静かな夜空に象徴的な満月が輝き、少女の確実な成長がうかがえる。

でも、成長といっても大胆な成長ではなく、自分の部屋に戻ってきて眠るあたり、まだ大人にまでは成りきっていない。一方で、もう父親は部屋にいない。微妙な成長である。静かに微笑んで終わるあたり、憎らしいほどの機微だ。若干の切なさも感じられるが、それは夢ばかり見ていられる年齢を脱しつつあるからだろう。少女の心境がじんわり私の心に染みてくる。私は少女ではないが、私の家にも少女がいるのである。

指揮(ヤロスラフ・キズリンク)は、とても良かったと思うが、初めての音楽なので、詳細には判断できない。キャストは、言葉の問題もあるのだろうけど、外国人歌手を5人もそろえていて、そこまで贅沢にしなくても十分なのではとも思えた。とはいえ、ルサルカには、6月の蝶々さんですばらしく良かったオルガ・グリャコヴァが、また今回も役にぴったりの声と演技と容姿で、このタイトルロールについては、最高のキャスティングだったと思う。

2011年11月23日 新国立劇場)

戻る