新国立劇場「こうもり」
このプロダクションの初演時(2006年)にも感じたことだが、二期会の日本語オペレッタでも、外来団体のオペレッタでもない、新国立劇場でしか味わえないような「こうもり」である。オペレッタでありながら、外国人と日本人の混成キャストである点の長所をよく活かしている。メインに外国人で脇役に日本人という配役ではなく、アデーレが日本人でフロッシュが外国人であったりして、こういうキャスティングのオペレッタでの笑いの取り方は、二期会とも外来とも違うおもしろさが出てくる。どんなところがおもしろかったのか、ここで文章でつらつら書いたところで仕方がないので書かないが、客席から結構笑いが起こっていた。
キャストはそれぞれ適役でおもしろかったのだが、アイゼンシュタイン(アドリアン・エレート)とロザリンデ(アンナ・ガブラー)が若くて美男美女で、新鮮だった。私が今まで観てきたアイゼンシュタインは、ある程度の貫禄が出てくる年齢であり、夫婦間も倦怠期を通り越している感じがすることが多かった。それが今回のアイゼンシュタインはそんな感じでなく、若くて甘いマスクで、舞踏会で女性を引っ掛けているといっても、中年のいやらしさではなく、まだ青年のような健康的な感じがする。したがってロザリンデとの間も、若夫婦といった雰囲気があって、冷めた感じがしてこないので、仮装した妻に知らずに魅かれてしまうことにも違和感がない。それどころか、アイゼンシュタインの時計が、今までどんな女性にも奪われなかったのが、仮装した妻にはやすやすと奪われてしまうあたり、ロザリンデとアイゼンシュタインの夫婦としての相性のよさが現れていることに、今回はじめて気が付いたし、それが観ていてもわざとらしさがないキャスティングであった。実は私はこれまで「メリー・ウィドウ」には十分感情移入できていたのだが、「こうもり」にはそのきっかけが見つからなかった。今までは「こうもり」に音楽と笑いの楽しさしか見出していなかったのだが、今日はじめて登場人物の気持ちに入り込めたような気がする。(私は舞台で「こうもり」を観るのはこれが9回目であるが、遅ればせながら、ようやくである。)
指揮はダン・エッティンガーであったが、序曲が終わったしりからブーブー批判していた人がいた。まだ幕が開いていないうちからの激しいブーイングは興がそがれる。私見では演奏に対する批判は拍手の強弱だけで十分伝わるものだとは思うが、仮にブーイングをするにしても、全曲を聴いてみて、それで不満ならカーテンコールでやればいいのにと思う。
エッティンガーの指揮は、新国立劇場初登場の2004年「ファルスタッフ」のときから気になっているのだが、時々テンポがゆっくりになって、もどかしく感じることがある。良く言えば、緩急にメリハリがあって、それが作品によっては効果的なこともあるのだが、「こうもり」に限って言えば、いらぬところでゆっくりになったりして、もっとテンポのよさが欲しくなってくる。歌手も歌いにくいのではと思ったりもしてくる。全体としては、「新国立劇場のこうもり」として、それなりの音楽作りではあると思うし、こういう演奏も悪くはないとも思うが、できればもう少し軽快な指揮が良かった。
(2011年12月4日 新国立劇場)