神奈川県民ホール「タンホイザー」

いまどき珍しい写実的な舞台のワーグナーである。幕開け早々のヴェーヌスベルクなんて、紗幕でぼかしがかかった岩場で、ピンクの淡い照明にスモークが出てきたりして、ひと昔どころかみっつぐらい昔の舞台写真で見た記憶があるような光景である。第2幕の歌の殿堂も、しっかりした「殿堂」そのもので、イタリアオペラにも転用できそうな舞台である。もちろん序曲も幕を閉じたままじっくり音楽だけを聴かせてもらって、これはオケを堪能できて満足である。

このように過剰なほど作品に忠実なセットであるので、当然、演出(ミヒャエル・ハンペ)自体も極めてオーソドックスなものとなっている。ストーリーがとてもよく分かるような演出であって、初めて「タンホイザー」を観る人であっても何のストレスもなく楽しめたのではないだろうか。最近の演出のように、作品本来の内容を熟知したうえでないと何がなんだか分からなくなるような演出とは正反対である。もちろん同じ作品について今回のような基本的な舞台ばかり観るよりは、多少ひねった演出の舞台も合わせて鑑賞することで、オペラ公演に足を運び続ける動機づけの一つにはなるのではあるが。

それに、ほかの様々な演出を体験した後に、このようなオーソドックスな舞台を観ると、作品本来が持っている奥深さが再確認できる。たとえば、エリーザベトの性格も毅然とした自己の考えを持って積極的に行動する面が改めて目の当たりにできて、ゼンタからイゾルデ、エヴァ、ブリュンヒルデの系譜に載っていることがよく分かる。(また同時に、この系譜からエルザが落ちていることも分かってくる。)ほかには、クライマックスのローマ・カトリック的大団円の厳かな響きも、ある意味感動的ではあるが、それがために客席には違和感も漂い、かえってヴェーヌス賛歌の人間的な感情が際立ってくるようにも感じられる。これらの感想は、実はほかの現代的な演出の舞台でも感じたことなのであるが、それが今回の上演によって、作品本来の持っている魅力であったことに改めて感心させられたのである。

沼尻竜典指揮の神奈川フィルは、派手さはないが丁寧な演奏であった。最初、おやっと感じたことなのだが、ホルンなどに暖かみがなく、全体的に管楽器にふくよかさがない。ホールの音響のせいかなとも思ったのだが、そのような演奏だったのかもしれない。もっともこれは、私自身の先入観として、派手なワーグナーの響きがあったためかもしれず、じっくり聴くと丁寧な演奏であるし、いい言い方が思いつかないが、素朴な感じのするワーグナー演奏であって、もしかしたら、舞台によくあっていたのかもしれない。

キャストもタンホイザー(福井敬)、ヴォルフラム(黒田博)、ヴェーヌス(小山由美)と安定した良さであったが、特に良かったのはエリーザベト(安藤赴美子)であって、歌唱はもとより積極的な演技でもあり、第2幕の中心をしっかり締めていて、聴いてきて胸がすくほどであった。

(2012年3月25日 神奈川県民ホール)

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