新国立劇場「オテロ」

つい最近(2009年)の再演のため舞台演出もよく覚えているし、あらかじめ気になっていた指揮者やキャストでもないし、それに直前にキャスト変更があったりして、公演前の期待度はそれほど高くはなかった。そのような若干気を抜いた感じで出かけたのだが、そのためでもないのだろうけど、かなりインパクトのある演奏の良さであった。

最近の新国立劇場の再演公演であれば、客席の反応も結構あっさりしていて、終幕後のカーテンコールもお決まりの回数で終わることが多いのだが、今回は珍しく喝采が続いていた。休憩前の第2幕終了後でさえブラボーが飛んでいたほどである。カーテンコールではそれぞれのキャストについてはもちろん喝采が上がっていたのだが、指揮者(ジャン・レイサム・ケーニック)の登場で一段と拍手喝采が沸き起こっていた。

開幕冒頭からドキッとするほどオケの響きが冴えていて、オテロの登場前から一気に耳が舞台にくぎ付けになった。オケの調子は最後まで衰えることなく、客席の緊張をガッツリ最後まで維持し続けていた。東京フィルからこれだけの演奏を引き出せるなんて、かなりのものである。「オテロ」とはいえ新国のヴェルディでこれほどまでにオケが聴きごたえがあるなんて予想もしなかったことである。

キャストも全力で当たっていることがよく分かる。オテロ(ヴァルテル・フラッカーロ)は、半年前に「トロヴァトーレ」で聴いた時よりも良くなっているような感じがするのは指揮者の違いもあるのだろうか。前回聴いたよりも良く感じたということでは、デズデーモナのマリア・ルイジア・ボルシが一層そのような印象であった。昨年5月の「コジ」で観たときは、現代のキャンプ場の演出であったため、ほかのキャストに比べて現代的な衣裳が目立たたず印象が薄かったのだが、今回のようなオペラとしてはふつうのセットと衣裳では予想外に舞台に映えていた。表情も豊かで、オペラグラスでじっくり観ていたくなるほどである。歌唱も、「コジ」のようなアンサンブルではよく分からなかったのだが、十分な力強さがあって、この面からも再認識した。

イアーゴのミカエル・ババジャニアンは、私は多分これが初めて聴くことになると思うのだが、この役によく合った歌と演技と容姿であった。腹黒さに違和感のないイアーゴである。この凄み役を、顔と声の両方で舞台をひるませるキャストにはなかなか出会えないものだが、今回は響く声はもとより、いかにも悪そうな顔つきで、しかも上目づかいで斜めにオテロを見下すような仕草なんて、演技も本格的な悪役である。

そのほか日本人キャストも、舞台全体のレベルに引き上げられるように良くて、カッシオ(小原啓楼)、エミーリア(清水華澄)をはじめ、外国人キャストと区別がつかないような歌と演技であった。

私の感想文で、演出にも作品にも触れずに、演奏だけで書き終わってしまうことは久しぶりだと思う。

(2012年4月1日 新国立劇場)

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