新国立劇場「愛の妙薬」

2010年のプロダクションだが、私はその時に観ていないので、今回がこの演出は初めてになる。

演出はチェーザレ・リエヴィ。プレミエ時の公演写真で大体雰囲気は分かっていたが、牧歌的な農村の雰囲気がまったくしない舞台である。時代や場所の設定を変えるのではなく、時代も場所もそもそも設定しない舞台になっている。ふつうそういう演出の場合は、世界中どこにでもありえるような舞台作りになるのだが、今回の舞台はそういうものではなく、世界のどこでもないようなものになっている。舞台をいくつか仕切る幕は大きな本(トリスタンとイゾルデ)の背表紙になっているし、舞台上のセットも巨大なアルファベットで作っているし、イスなどは箱のような本でできている。だから本の中の世界かというと、それほどメルヘンチックでもない。なにより、衣裳をはじめ実世界ではないようなカラフルさである。

私は、オペラの舞台セット全般の好みとして、オリジナルの設定を変えるにしても変えないにしてもどちらでもいいのだが、とりあえず抽象的なセットより具体的なセットの方が好きなのである。その方が、お芝居としてのオペラのおもしろさが引き立つし、演出も分かりやすくなると思っている。しかし「愛の妙薬」についてはこれとは逆の考えで、以前から片田舎の舞台セットなんかなくてもおもしろいのでは、と感じていた。それどころか、セットはまったく何もなくても、照明と演技だけでこの作品の魅力は十分に伝わるのではないだろうかと、密かに考えていた。台本と音楽だけで、あとは鑑賞する人それぞれの心に思い浮かぶ情景だけでいいのではと思っていた。(ただし、コンサート形式では、コンサートを聴くのであって、オペラを観ることにはならないと思っている。)

そういう意味では、これまで観てきた「愛の妙薬」のなかでは、今回の舞台は私の理想に近いものがあった。ただ、ちょっと衣裳や髪型が奇抜な彩りで、ポップな雰囲気が強すぎる点は、人物に現実味が薄くなるのではという危惧がないわけでもなかった。その点では私の理想の舞台とは少し違うが、しかし全体としては、舞台がシンプルな分、アディーナとネモリーノのやりとりや葛藤が浮かび上がってきて、私はとても良いと思えた。

正直な話、私は「愛の妙薬」の台本が大好きなのである。(もちろんその上の音楽も大好きなのであるが。)アディーナがネモリーノにつれなくしていながら、自分でも気づかずにネモリーノ、ネモリーノと言っているところの機微が大好きなのである。マルシャリンやザックスの機微も大好きなのだが、そこはそれぞれの背景が大事になってくる。しかしアディーナの場合は背景は必要ないのである。ここで私が言っている背景というのは、その人物の立場や状況(つまりは人物関係であって、恋愛関係とは別の関係)ということだが、その人物としての背景(立場、状況)は芝居としての舞台セットにつながるのである。アディーナとネモリーノには、恋愛関係以外に複雑な背景はいらないと思う。

元々、このオペラは私が泣きやすい作品のひとつなのだが、今回の舞台では、その泣きやすくさせるポイントが純化して感じやすくなっていたので、2幕に至っては幕開き早々からずっと最後まで左右の目から涙を流し続けてしまい、処置に大変だった。

キャストでは、アントニーノ・シラグーザのネモリーノが改めて言うまでもなく良かった。ニコル・キャベルのアディーナは、この役にしては少し硬めの声かもしれないが、違和感を覚えるほどのものではないし、何よりアディーナとしての微妙な演技が良くできていた。

指揮はジュリアン・サレムクールで、東京交響楽団。過剰に大きく鳴らすこともなく、スッと受け入れられるような演奏である、とりわけ特徴的な指揮ではないが、作品の性格に合った堅実な演奏だと感じた。そう思うと、同じ時期に同じオケで上演していた「タンホイザー」の演奏の質は、指揮者のせいだったのではと思う。

(2013年2月3日 新国立劇場)

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