東京二期会「こうもり」
新演出(白井晃)の舞台だが、往年の二期会オペレッタとは趣向が異なるものとなっていた。二期会のオペレッタには、「こうもり」にしても「メリー・ウィドウ」にしても、独特の盛り上げ方があって、客層にしても十分それを心得ている雰囲気があったのだが、今回は趣向が変わっていた。言ってみれば、これまではこなれたセリフで楽しませるところを、ドタバタで笑わせようというものに変わっていた。もちろん、それは従来の二期会オペレッタとは違うというだけのことであって、「こうもり」としてのおもしろさを損なうものではない。こういう笑わせ方の「こうもり」も好きである。実際、客席から溢れる笑いも、いつもの「こうもり」に比べてもノリが良かった。ただ、二期会独特の雰囲気を持ったオペレッタの舞台も好きだったし、それはひとつの特徴でもあったのだとも思う。
舞台セットも、リアルに作らず、それぞれの幕の舞台となる部屋を、絵で描いた箱で作っている。演出家によると、所詮、日本で上演すると、どうがんばってもウィーンの雰囲気なんて真似ごとになってしまうから、いっそのこと作り物であることを強調しようということらしい。内容が喜劇であるだけに、その考え方は悪くはないと思うし、東京文化会館のような本格的な上演が可能な劇場で、そういう割り切りに徹するのも珍しいので、そういう意味ではとてもおもしろい舞台となっていた。
演出は以上のような感じなのだが、今回の公演で、まず一番に珍しかったものは、ピットの異常な浅さである。舞台から1メートルほどしか下げていない。前の方の席からはオーケストラが邪魔になって舞台が見えづらいのではないだろうかと心配になるほどだ。(もっとも、前述した箱型の舞台セットの部屋も、舞台から1メートルぐらい高く設置しているので、それほど見えづらいものではなかったのかもしれない。)あまりに浅いので、舞台を見ていてもオケがはっきり見えてしまう。これも舞台のリアルさを消して、喜劇芝居であることをつねに意識させようということなのだろうか。でも、音響的には問題なかったのだろうか。
大植英次指揮の東京都交響楽団。実際に聴くまでは、大植指揮の「こうもり」にも違和感があれば、都響の「こうもり」にも違和感があった。なんか、大植指揮都響であれば、別の音楽を聴いてみたいという感じになる。でも、大植さんの指揮は、見ていておもしろい。コンサートの時と変わらず、指揮をしているのか踊っているのか分からないほどのオーバーアクションは、どんな曲であっても、おもしろく聴かせてくれるものはあると感じる。ただ、ウィンナ・オペレッタの流暢な優雅さはなくて、まるでドイツのクラシック音楽のような(実際そうでもあるのだが)しっかりした演奏になっていた。音楽鑑賞として悪くはないが、音楽鑑賞とは多少ずれた雰囲気もほしい作品でもある。これもリアルさを排した演出と同じ方向だろうか。そう考えると、ひとつの公演として、方向性がよくまとまっているといえるが、それが二期会のオペレッタと合っていたのかどうか。そう感じるのは、時代錯誤の郷愁なのかもしれないのだが。
(2013年2月23日 東京文化会館)