新国立劇場「コジ・ファン・トゥッテ」

2年前の演出の再演(ダミアーノ・ミキエレット演出)だが、改めて、よくできた舞台だと感心した。前回の初演時の感想文でもそのことをくどくどと書いたのだが、また同じ内容の感想文になってしまいそうである。

演出の細かい様子は前回書いたので今回は省略するが、設定は森の中のオートキャンプ場である。「コジ・ファン・トゥッテ」はストーリーがオリジナルの時代設定にあまり依拠していないので、現代への演出読み替えが比較的容易な作品であるし、かえって現代的な方が分かりやすいテーマでもある。それでも、時代と場所の変更には、どこかに演出のスキができやすのだが、このキャンプ場の演出は設定変更にほぼ破綻がない。最初から最後までスムーズに舞台が流れていって、ストーリーがすんなり入り込んでいる。

そもそも、夜のキャンプ場は、男女間の心変わりもあり得る雰囲気だと思う。中学生のキャンプではないが、懐中電灯を照らしながら、男女ペアで森の中をナイトハイク(もしくは肝だめし)すると、誰しもドキドキするものである。しかもこの場合は青年であるし、積極的に口説くことになっているのだから、心変わりがあっても納得してしまう状況である。

もちろん、ほんの半日程度でそんな心変わりがあるのかという疑問もあるだろうけど、ここはオペラであるし、それも一応喜劇でもあるので、時間設定は1日で終わらせなくてはいけないという制約を差し引いて観なければいけない。それに、登場人物の性格を考えると、当初のペアよりも入れ替わったあとのペアの方が似合っているようにも思える。声の高さだって入れ替わった方が合っているし、二重唱も違和感がない。だから、冷静に見れば、口説かれて惹かれるのもそれほど不思議なことでもないように思える。そういった心の移り変わりは、明るいナポリの邸宅よりも、森の中のキャンプ場の夜の方が、今の人たちにとってはより現実的だと思う。

もう少し踏み込んでこの演出を褒めるとすれば、設定を変えることによって、この作品の一見疑問に思える題材、つまり姉妹の心変わりが、まったくの架空の話ではなく、あり得ないこともない話だと気付かされたことである。しかも舞台の動きが、音楽によく合っている。モーツァルトの音楽がキャンプ場の若者たちの気持ちや行動に対して違和感なく聴こえてくる。このような題材を美しい音楽で作り上げたモーツァルトの革新性も認識できる舞台にもなっている。

セットの美しさについても、くどくどと書き連ねたいところなのだが、2年前の感想文にもたっぷり書いたので、そちらを参照。

キャストについては、歌も役どころもバランスがとれていて舞台に集中できた。この日の客席は、ドラベッラ(ジェニファー・ホロウェイ)が他のキャストより喝采が少なかったのだが、これは聴かせどころの少なさのせいか。私は、フィオルディリージ(ミア・パーション)同様とても良かったと感じたが。外国人キャストの中に、デスピーナ(天羽明恵)だけ日本人キャストだったが、この役どころもあってすんなり溶け込んでいた。

指揮(イブ・アベル)は、時おり音量を控えたりして、しっとりとして、設定によく合っていて良かったと思う。ところがオケ(東京フィル)の方は、ホルンがもうひとつだった。本来の設定とは違うとはいえ、夜の森の雰囲気には欠かせない音色なので、この点だけはちょっと残念だった。

(2013年6月9日 新国立劇場)

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