東京二期会「イドメネオ」

「イドメネオ」を舞台で観るのは17年ぶり。作品名は知られているわりに日本での上演頻度は少ないし、その上、私は基本的に時代の新しい作品が好きなので、オペラ・セリアというだけで少し躊躇してしまうところがあり、実に久しぶりになってしまった。「イドメネオ」に対してそんな態度でありながら、今回鑑賞する気になった要因は、新国の「コシ」で全面的に感動したダミアーノ・ミキエレットが演出するという点、それと二期会公演ながら会場が新国立劇場だという点である。指揮の準・メルクルは、公演に行く動機にはなっていなかった。

そのメルクルの感想から言えば、今回の演奏はすばらしかった。実は、メルクルの指揮は過去にオペラ1回、コンサート1回を聴いたことがあるのだが、どちらも悪くはないが積極的に称賛するほどでもなく、「うーん、こんなものなの?」という感じであった。(オケやホールの影響があったかもしれないのだが。)そういう期待感しか持っていなかった中、今回の演奏は思いもよらず聴き応え十分で、メルクルの評判に初めて納得できた。(それこそオケ=東京交響楽団やホールの影響かもしれないが。)オペラ・セリアなので、場合によっては音楽に退屈するかもしれないと覚悟していたところだったのだが、迫力ある演奏によって「イドメネオ」の凄さ、すさまじさに気付かせてくれたのは本日の何よりの収穫である。もちろん、そこにはモーツァルトの革新性があってこそのものなのだが、それを認識させてくれただけでも、本日の演奏を聴いた価値があった。

指揮とは逆に、演出については公演前の期待感に比べて舞台にのめり込むほどでもなかった。「コシ」の時のような全面的な感動を期待していたのだが、そこまでには至らなかった。それは、作品のなじみのせいなのか、演出の設定が私に身近さが感じられなかったせいなのか。演出のポイントとなっていた、父と息子の関係性も、序曲の開始から映像を流して物語の展開の予告感を醸し出していたのだが、劇中での主張はそれほど強烈には感じなかった。もうひとつの演出ポイントである戦後社会も、人物の行動よりも舞台や道具によって表現しているだけのようにも見えた。この2点の設定に対する私の親近感が乏しかったことから、深い共感が得られなかったのかもしれない。またそれは、作品自体の限界かもしれない。とはいえ、この物語をトラディッショナルな舞台で見せられれば、音楽にも退屈していたかもしれず、そういうことからすると現代の日本でもわかりやすく見やすい演出であることは間違いないと思う。

深刻になりがちなストーリーの中に、エレットラのアリアを着替えながらの衣裳選びシーンにしたり、幕切れの後奏にイリアの出産シーンを入れたり、それぞれが演出の主旨に沿うものでありつつ、会場の笑いを誘う工夫も見られた。また、忠臣アルバーチェについても、さほど重要な意味づけは与えられていないものの、終始舞台に出ていて事務的な忠実ぶりを目立たせていた。

キャストについては二期会公演においては概ね不満はないのだが、最近の公演では積極的に若い人も登用しているためか、若干、キャストの間にレベルの差が感じられることもある。

(2014年9月14日 新国立劇場)

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