新国立劇場「パルジファル」
日本に居ながらにして「パルジファル」を観られることなんて、一生のうちに一度でもあるのだろうかと、オペラを知り始めた頃は思っていた。ものの本やなんかを読んでいると、ほかのオペラとは違う神聖さを帯びていて、生半可な気持ちでは上演してはいけない作品のような先入観が植えつけられていた。実際に、日本での上演回数はほかのワーグナー作品に比べて少ないことは確かなのだが、それでも公演があるにはあるので、日本に居ながらにして観られないこともない。そうしてようやく2年前の2012年に東京二期会の公演で初めて「パルジファル」の舞台に接することができたのである。しかも初めて観る生の舞台でありながら、最後かもしれないとも思っていたりした。それが早くも2度目の生の舞台を観ることになった。もっとも今回も、最後かもしれないと思って観ていた。
CDなどを頻繁に聴く方ではないので、「パルジファル」の音楽にはほとんど馴染みがないのだが、そういう予習がなくてもとても心地よくて聴きやすい音楽だと改めて感じた。特に第1幕の、終わりそうで終わらない音楽は、その演奏時間の長さを全く感じさせない充実感がある。アムフォルタスの苦しくて物憂げながら希望の予感のするモティーフが静かに鳴り響いていると、もっともっと何時間も幕が閉じないでほしいと思ってくる。多分、演奏会形式だとこのようには感じないのだろう。大したストーリー展開がなくても、舞台があって、そこに荘厳な管弦楽が聴こえてくることに陶酔感があるのだと思う。
指揮は飯守泰次郎で、東京フィル。カーテンコールでは大喝采に混じって、指揮者に対し不満を表明する観客が少なからずいた。でも私はとても満足のいく演奏だったと思うし、東京フィルからここまで「パルジファル」にふさわしい音楽を引き出していたのは素晴らしいことだと思う。金管などでは完璧にはならないところもあったが、それでも生演奏としては十分だと思う。主要キャストには外国人を5人も据えていて、こちらは期待通りの演奏であり、カーテンコールも順当だった。
演出のハリー・クプファーは、私のオペラ鑑賞初期に、「オペラを演出で観る」という、今では当たり前のことを知らしめた演出家であり、その衝撃は、私のオペラ鑑賞を一層奥深くするものであった。その後、より刺激的な演出家が活躍するようになり、一時期はクプファーは引退でもしたのではないかと心配になるほどであったが、それは日本での公演のことであって、ヨーロッパでは活動は続いていた。久しぶりに観るクプファーの舞台は、さすがに以前ほどあっけにとられることはなかったが、しっかりとした揺るぎない舞台展開は堂々としたものである。全幕、ギザギザになった光の道だけの舞台で、象徴的である。キリスト教と仏教の統合を図る演出は、ワーグナーの指向からのようだが、実質的には個別の宗教を超越しているのではないだろうか。
この作品の慣習上、拍手するべきかどうか迷うところだが、第1幕からカーテンコールを行って観客に躊躇なく拍手できるようにしていたのは、クプファーの意図したところであり、こういった平然とした大胆さにクプファーの明快さがある。
(2014年10月5日 新国立劇場)