オペラシアターこんにゃく座「フランドン農学校の豚」「虔十公園林」

 宮澤賢治原作、吉川和夫作曲の2作品を観世榮夫の演出で初演。

 「フランドン農学校の豚」は、農学校で飼育されている豚(人間の言葉を理解し喋る)が主人公。家畜を殺すには、その家畜自身が押印した同意書が必要なのだが、農学校の豚は同意することに最初は嫌がる。しかし人間たちに強引に同意させられ、結局は殺されることに。人間を含めたすべての生き物は、別の生き物の生命を奪って食べなければ生きていけない。その事実の是非はとりあえず考えないとしても、殺される生き物の感情まで考えては何も食べることはできなくなる。このオペラは豚の悲哀が根幹をなしているが、全体にはコミカルに展開していく。それが豚の心情を理解しない人間たちと、豚の苦しさとの対比を際立たせる。また、結局は自分の意志を通せず死亡同意書に印を押す豚の姿には、それが人間自身の生き方のひとつとしても重ね合わせられ、観客に幸せの意味を問わせることにもなっている。

 舞台はこんにゃく座特有の熱演。特に凄かったのは、豚がむりやりに太らされる場面。あまりに人間たちが楽しく強引に肥育させるので、その様子に客席からも笑いがあがるほど。しかし太らされている豚の表情は悲哀に溢れ、音楽も豚の短い独白の時には一瞬暗転する。このシーンは、豚にとっての拷問で、しかも豚以外はみんな笑っているので、見ようによれば「トスカ」の拷問シーンよりも恐ろしいものがある。

 「虔十公園林」は、みんなから「少し足りない」と思われている虔十が主人公。近所のこどもたちからもからかわれたりするが、家族は虔十を立派な家族の一員として扱っている。その彼が初めて自分の意志でもって杉の苗七百本を植える。その杉の林が成長すると、やがてこどもたちの遊び場に。喜ぶ虔十だが、悪い隣人が邪魔だから杉を切れと脅迫する。今まで「ノー」と言ったことのない虔十が人生でたった一度の「ノー」を言う。林は守られたが、虔十もその隣人もチフスで死んでしまう。その後何十年も経ち、村の様子はすっかり変わったが、杉の林だけは家族が虔十のたったひとつの形見としてそのままにしておいた。いつの時代になってもこの林をこどもたちの遊び場として残しておこうと、村の人たちによって「虔十公園林」と命名される。

 シンプルで悲惨さがない。しっかりと林が残っている幕切れは、明るく幸福感が漂っている。自分の意志を通した虔十は賢く、たとえすぐ死んだとしても幸せだったに違いない。

 歌も上手く、それぞれの役にはまったキャストで大満足。何が幸せかという問いを心に投げつけられた公演に感動して、幕切れには大きな涙をふた粒ほど落としてしまった。

(4月29日 俳優座劇場)

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