東京室内歌劇場「脳死をこえて」

 1988年の7月にこのオペラが京都で上演された時(初演は同年3月東京)、私はまだオペラについてはスーパービギナーで、4本しかオペラを観たことがなかった。しかし、初めて観たオペラ「ボエーム」以来、オペラが人生や社会に対して訴える表現力の豊富さに度肝を抜かれていた頃なので、この「脳死をこえて」の京都公演のチラシを手にした時は、現代社会の問題をオペラのテーマにしていることにひどく感心し、とても気になった。よっぽど行こうかと半分腰を浮かしていたが、一人で足を踏み込むにはなんだかレベルが高そうで、クラシック仲間なんかに声を掛けてみたものの、当然のことながら興味を示す者はいなく、そうこうしているうちに結局見逃してしまった。それ以来各地で再演されるものの、時間や場所などのために観るチャンスが訪れず、京都でみすみす見逃してしまったことを悔やんでいた。そして今年になって、東京文化会館のリニューアル記念としての公演で、ようやく11年ぶりにチャンスが訪れ、見逃してはならじと、発売早々にチケットを確保した。

 時代は1983年、場所は主に京都府立医大付属病院という、ごく身近な設定。若い妻の日常生活の中に、突然仕事先で夫が交通事故に遭ったという連絡が入る。緊急手術を行った大津の病院で脳死の宣告を受ける。脳死と植物人間との違いや、(当時の)脳死判定基準が歌われる。夫の手を握ると暖かいので、死んでいるとは思えない妻は京都の病院の主治医の所への移送を願い実行される。脳外科医や移植医が臓器移植を勧める一方、患者の家族の心情も考え葛藤する主治医、その主治医が患者の妻に臓器移植を提案し、妻が承諾するストーリーがメインになる。そして、移植適合者一位に選ばれながら、濃霧で飛行機も船も出ず京都の病院まで行けずに焦って荒れ狂う徳島の少女とその父親、適合者二位に選ばれて病院まで来たものの結局一位の少女が到着して移植は受けられず落胆する主婦とその家族、などといった移植を受ける側の心情も場面として挿入し、物語を多面的に厚くしている。

 現代日本が舞台なので、出演者全員役柄に違和感がないどころか、ぴったりの人選でテレビドラマを見ているような感じだ。歌や演技については東京室内歌劇場の公演なので申し分ない。この団体はいつも密度の濃い舞台を創ってくれている。東京文化会館という大きな舞台を使っていたが、ごく小さなセットを中央に置くだけでにしておいたので、音楽やストーリーへの集中度は損なわれず、「室内歌劇場」の利点は生かされていた。

 重々しいタイトルだが、結局は生と死や家族への愛という普遍的な問題について感動させられ、涙が流れてしまう作品だ。私も途中からおいおいと泣いてしまって恰好悪かったが、最後にオペラとしては常套的なモノローグアリアが置かれているので、そこでようやく一息ついて涙を乾かすことができた。

(6月26日 東京文化会館)

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